リバースエニアグラム

太陽のお父さん?

太陽のお父さん?

えっと、随分遅くなりましたが、
新年明けましておめでとうございます。
 

破壊者の母、篠田工治でございます。
 

本年もご愛顧のほど、
よろしくお願い申し上げます。
 

実は年初から痛風が再発し、
身動き取れなくなっているところに インフルエンザに感染。
 

結局何日も寝込むことになってしまいました。
 

その間、熱で頭はボーっとしていたのですが
折角なので(?)アレコレ自分のコトを振り返っていました。
 

今回はそこで感じたことをシェアしようと思います。
 

太陽のお父さん?

久し振りに自分を振り返ってみて
思い知らされたこと。
 

それは状況は違えど、
根本的には同じ問題を何度も繰り返してきた、
という苦い事実です。
 

結局その問題は、
「自分を包み込んでくれるような実力者に
 特等席を確保してもらう」
という策略の反作用なんですけどね。
 

で、今回ふと気付いたのは、
「結局そんな自分のエゴを
 完璧に満たしてくれる実力者なんてのは存在しない」 ってことです。
 

まぁ、これだとかなり不遜というか傲慢に聞こえるので
「そういう実力者は何故だか私には縁が無い」
という「あきらめ」と解釈していただいても結構です(苦笑)。
 

こんな風に思うようになったキッカケは、
娘のお絵かき教室のセンセイの言葉です。
 

娘は3歳のころからずっとお絵かき教室に通っていて、
4年ほど前、そのセンセイからこんなお話を聞きました。
 

「この子が描く絵には必ず大きな太陽か大きな木が描かれている。
 

 これはお父さん(つまり私)を意味してるんですよ。
 

 この子はお父さんが大好きなんです!」
 

残念ながらそのセンセイは、
この会話をした直後、病気で他界してしまいました。
 

その後、お絵かき教室はセンセイの娘さんが
引き継ぐことになり、現在に至ります。
 

で、この正月にセンセイの娘さんから年賀状が来て、
そこに「いつも太陽みたいなお父さん」という言葉が あったんです。
 

そこで「ん?」と思ったワケです。
 

お絵かき教室を運営するくらいですから、
このセンセイ親子の感受性は優れているハズ。
 

その親子が私に対して同じ「太陽」という表現をした。
 

この表現の一致にとても引っかかったのです。
 

何故なら私はエニアグラムでいうタイプ2であり、
私自身が意識無意識を問わず
「頼れる太陽」を求めています。
 

だからそんな自分が「太陽」と言われたことに
正直違和感を覚えたんですね。
 

これまで生きてきた中で、
こんな風に私を表現したのは
このセンセイ親子だけですし。
 

もちろん人の解釈は千差万別なので、
この御二人の表現が絶対だと言うつもりはありません。
 

でも今回、違和感を感じながらも、
この「太陽」という表現に妙に納得もしたんです。
 

「ああ、やっぱり人からはそういう風に見られていたんだ。
 

 本当はそうじゃないのに・・・」
と。
 

そして、そういうイメージが付き纏う以上、
「自分を包み込んでくれるような実力者に
 特等席を確保してもらう」
という戦略は、上手くいくはずもないことに
気付いちゃったんですね。
 

「太陽を包み込む太陽」って変でしょ?
だからこそ、
「結局そんな自分のエゴを
 完璧に満たしてくれる実力者なんてのは存在しない」
という心境になったワケです。
 

ギラギラの太陽

ただ、この場合、
自分の欲を満たせない(笑)。
 

「自分を包み込んでくれるような実力者に
 特等席を確保してもらう」
という欲求にもちゃんと理由や意義がありますし、
もし達成できたとすれば、
それは生の充実、生きる喜びになりますから。
 

もっと言えば、
タイプ2がポカポカした太陽のように感じられるのは、
適度な距離感や接触頻度が少ない時なんですね。
 

先ほどのお絵かきのセンセイとの距離感は
たまに挨拶を交わす程度のお付き合いだから
良い印象を与えていたと思うんです。
 

これが依存心という欲をどこかで満たせなくなると、
他者との距離感が一気になくなり、
頻度や踏み込みも強くなって、
「ポカポカ」から「ギラギラ」の太陽になってしまう(苦笑)。
 

そんな悪循環を物心ついた時から、
延々と繰り返してきたわけです。
 

コピーロボット

で、ボーっとした頭で、
「このままじゃ、いかんなぁ。
 

 なにかいい方法はないかなぁ」
と考えていたら妙案が浮かびました。
 

それは、
「実力者を自分自身に見出す
方法です。
 

別の言い方をすると
「実力者であるもう一人の自分を強くイメージし会話する」
とでもいいましょうか。
 

こうすれば依存心を満たせるので、
他者に対する「踏み込み」も少なくなり、
結果的に太陽として振舞える。
 

「もう一人の自分」というと
タイプ1が思い浮かぶのですが、
彼らが抱えるのはどちらかというと、
威厳を持つ天空神に近い。
 

でも私の場合はそうじゃなくて、
「ちゃんとあなたがやってきたことは見てるよ」
「うん。OK。大丈夫。」
と言ってくれる優しい地母神的な存在を
自分自身に重ね合わせてみたんです。
 

そしたら、体の力が抜け、気持ちが落ち着いていくのが
実感できました。
 

「ああ、あなたは私ことを分かってくれるのね・・・」
みたいな(笑)。
 

イメージ的には
漫画のJOJOに出てくる「スタンド」とか、
初代遊戯王にでてくる「もう一人の僕」とか、
古いけどパーマンの「コピーロボット」に話しかけている感じ。
 

「自分との対話」と言えば聞こえはいいのでしょうが、
それで一人涙ぐんだりして、
「気持ちの悪い一人芝居」にしか見えないのがタマに傷。
 

でも結果オーライです(笑)。
 

普段は反発しがちな耳の痛い言葉も、
それが「自分を理解してくれて実力があって信頼できる人」、
つまり「もう一人の自分」からの忠告だと思えば、
素直に聞けそうな気がします。
 

又、自分の内面に意識が向かうので、
必要以上に他者の歓心を買う気も薄れる感じです。
 

この「もう一人の自分をイメージする」方法は
まだまだ始めたばかりですが、
今後も検証を重ねていきたいと思います。
 

無意識下では自分と他者の区別はつかないといいますから、
繰り返していけば名実共に実力者になれるかもしれませんし(笑)。
 

まぁなんにせよ、
自分を省みる時間ができたことはとても有意義でした。
 

そういうキッカケをくれるという意味においては、
軽い病気にかかるのは悪くないですね。
 

前置きのつもりが長くなってしまったので、
今回はここまで。
 

それではまた。
 

URL :
TRACKBACK URL :

コメントをどうぞ

*
*
* (公開されません)

*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

Return Top