リバースエニアグラム

活動の結果ハッキリしてきたこと

活動の結果ハッキリしてきたこと

破壊者の母、篠田工治です。
 

この2年くらいの間、エニアグラムに関して あれこれ活動してきました。
 

オンラインではブログやtwitterなどで情報の発信や交換。
 

オフラインでは、 いくつかのワークショップやセミナーへの参加とお手伝い、 勉強会の主催や講座の開講。
 

そしてタイプ判定のお手伝いなどなど。
 

活動とは言えませんが、 国内で刊行された書籍の多くに目を通したり、 Webでの情報収集も続けてきました。
 

幸か不幸か、 いろんな著書や講師に触れてきたせいか、 ハッキリしてきたことが一つあります。
 

今回はそれについてのお話です。
 

活動の結果ハッキリしてきたこと

それは 「エニアグラムとはシンボル図の解釈の仕方に過ぎず、  どのように解釈するか、何の為に使うのかは人それぞれ」 ということ。
 

「偉そうに」と自分でも思うのですが、 これが活動の結果見えてきたことだから仕方ない(苦笑)。
 

これは著者や講師という「伝え手」にも、 読者や受講者という「受け手」にも当てはまることです。
 

例えば、伝え手側に目を向けると、 「著者や講師はエニアグラムという道具を使って、  自分の価値観を主張しているに過ぎない」 という言い方をすることができます。
 

まったくもってゴーマン極まりないのですが、 これは例えグルジェフ氏だろうが、 オスカーイチャーゾ氏だろうが ドンリチャードリソ氏だろうが 誰であっても本質的には同じことです。
 

ここでいう価値観とはその人の性格タイプだけでなく、 経験、体験、背景、信条など、 抱えているモノ全てを意味します。
 

すなわち「アイデンティティ」と言ってもいいでしょう。
 

人それぞれ全く異なるアイデンティティを持つのだから、 それを主張する手段であるエニアグラムも それに合わせて色形(いろかたち)を変えていく。
 

そのように考える方が自然だし、 そうとでも考えなければ、 各専門家や研究者達の主張する内容が バラバラであることを説明できないんです。
 

万人に響く言葉はない

伝え手におけるエニアグラムの解釈や使い方が異なるとして。
 

受け手の側も価値観はバラバラですから、 「どのように解釈したいのか」 「どのように使いたいのか」 という違いが当然生まれます。
 

そしてこれらの違いは、 「伝え手の言葉が必ずしも受け手に響くとは限らない」 ということを意味します。
 

伝え手の価値観に共感できなければ、 受け手はその主張を受け取ることができないんですね。
 

大事なのは、ここには 「正・誤」とか「善・悪」という観点は出てこないということ。
 

伝え手の信念に受け手の感性がマッチするかしないか。 ただそれだけのことなんです。
 

セールスやマーケティングの世界では、 「お客はまず感情で購入を決め、  後からもっともらしい理由をつける」 ということがよく語られるのですが、 これと同じことです。
 

伝え手から醸し出される価値観を受け入れるかどうかは、 結局「好きか・嫌いか」に拠る所が大きいんですね。
 

ボリュームが足りない

エニアグラム学習の要(かなめ)が 伝え手と受け手のマッチングに左右されるのであれば。
 

必要なのは 「伝え手の人数=選択肢」と 「伝え手の価値観(学習内容含む)を判断できるだけの情報量」 の多さです。
 

残念ながら現時点においては 私は二つとも足りていないと感じています。
 

「伝え手の人数」というのは、 純粋な頭数のことではなく、 明確な違いを打ち出している伝え手の数を指します。
 

広義には会派の数と言っていいでしょう。
 

名前の通った会派は せいぜい5つか6つといったところですから、 マッチングという観点では 足りないと言わざるを得ません。
 

しかもこれは関東という限られた地域でのお話。
 

それ以外の地域では、 ワークショップやセミナーがそもそも無いとか、 有ったとしても選択肢がほとんど無いのが実情です。
 

私自身は最近、 あまりオフラインにこだわらなくてもいいかな、 と思っているのですが、 リアルなワークショップやセミナーに参加できるのであれば、 それに越したことは無いワケです。
 

もう一つの 「伝え手の価値観(学習内容含む)を判断できるだけの情報量」 が足りないというのは、 「書籍の多くが絶版」 「ネット上では有益な情報が少ない」 などが主な理由になります。
 

特に後者については、各会派の収入が ワークショップやセミナーの受講費、教材費等である以上、 むやみやたらと無料で情報を発信できないのは 致し方ないことです。
 

もちろん、そういう情報の少なさを埋める為に 無料や格安の体験講座があるのでしょうが、 たった1回やそこらの参加では 「そこでは今後何をしていくのか」 「伝え手がどういう価値観を持っているのか」 ということを正確に把握できるとは限りません。
 

例えばの話ですが、 喜び勇んで初級ワークショップに参加したところ、 そこでは10年以上ただひたすら お絵かきワークだけをやっていると 知ったときの絶望感とか(涙)。
 

これは、 「初心者にはお絵かきワークが一番有効だから  うちはこれしかやらない!」 という伝え手の信念が、 残念ながら全ての人には響かないという 一例だったりします。
 

「いや、せめて半分くらいは  座学やってくれないと理解できましぇーん。  つか、お絵かきしかしないって  講座案内に書いといてよ」 みたいな(苦笑)。
 

逆に、お絵かきワークを楽しみにしている人を相手に、 延々と濃いレクチャーを続け、 そのうちみんな来なくなっちゃった、 なんて話もあります(涙)。
 

なにやら自虐ネタっぽくなってきましたが、 伝え手と受け手で価値観が共有できないと、 結局こんなふうになっちゃうんです。
 

それは双方にとって不幸なので、 そういうミスマッチは避けられるものなら あらかじめ避けたほうがいいワケです。
 

増やすしかない

では価値観のミスマッチを防ぐには どうしたらいいのか。
 

その答えはとてもシンプルで 「足りてないのだから増やせばいい」 ってことになります。
 

もちろん増やすのは、 「伝え手の人数=選択肢」と 「伝え手の価値観を判断できるだけの情報量」 の2点です。
 

言うのは簡単ですが、 実際、他の伝え手に影響を与えていくことは難しいので、 ここでは私自身の取り組みをお伝えするに留めます。
 

伝え手の選択肢を増やす方法としては、 言うまでも無いのですが、 私自身が選択肢の一人として自覚を持つこと。
 

選択肢の一人になる為には「他との違い」が必要ですから、 これまで以上に好き勝手というか、 自分の「内なる心の声」を信じて振舞っていこうと思います。
 

「価値観を判断できるだけの情報量」の増加についても、 私自身、どんどん情報を発信していきます。 (遅々として進みませんが、  活動の軸が定まれば少しは速くなるハズ)
 

具体的には、 有料レベルの情報コンテンツを、 PDF、MP3音声、動画などで無料配信する予定です。 (実はコレ、  いろんな意味で爆弾を抱えた発言ですが、  悩みぬいた末の結論でもあります)
 

あと上記コンテンツのダウンロードとQ&A、 フォーラムなどが利用できる、 簡易なコミュニティサイトを作ろうと思ってます。
 

いずれにせよ、 伝え手の選択肢と無料の情報量を増やせば、 受け手とマッチングする確率は増えるハズです。
 

それを信じて今後も活動を続けていきたいと思います。
 

____
 

というわけで今回はここまで。
 

またまた所信表明みたくなりましたが、 これでブレることなく活動を続けることができるはずです。
 

今後もお付き合いいただけると幸いです。 それではまた。
 

【追伸】
 

ああ、そうそう。
 

話の流れ的にはもうお分かりだと思いますが、 オフラインでの勉強会や講座の開催は 当面お休みしようと思ってます。
 

やっぱり自分の好きな役柄はサポーターであって、 教師とか伝導師のような強さは持ち合わせていないんです。
 

既に受け手が他の会派の価値観に共鳴しているのであれば、 私は「それでいいのよ」と本当は言ってあげたいんです。
 

でも、エニアを知ってようやく 「自分の言いたいことを自由に言ってもいいんだ!」 って気付いた以上、自分の価値観も伝えたい。
  発言者、情報発信者としてのスタンスですね。
 

今思えば、 これらの価値観のハザマで苦しんだ2年間でもあります。 まぁ、エニアグラムをビジネスにしようと思えば、 普通に考えれば、それを教える講師業しかないわけで。
 

そしてオフラインの勉強会や講座では 前に立って話す以上、 必要以上に講師としての立場を意識して 無駄に気構えてしまう。
 
そしてそのうちタイプの2の特性である
「操作性」が出てきて、
より価値観のハザマは深くなるんです。
 

エニアグラムのダイナミクス的には タイプ2はウィングの1や3、矢印の8があるので 教師や強いリーダーを装うことは できなくはないのでしょう。
 

でもダイナミクスのタイプを多用し続けると いずれ精神力が枯渇し心が折れてしまう。
 

(この主張自体も私の価値観ですけどね_苦笑)  

しかし最近になって、 その講師という立場を辞めれば、 価値観の取捨選択をしなくてもいいことに気付きました。
 

講師という立場を取らなくても、 「発言者」として自分の価値観を伝える手法は このご時世いくらでもあると。
 

結局、私の欲望は 「マンツーマンの関係で人をサポートして喜ぶ顔を見たい」 そこに尽きるのです。
 

だから、自分の価値観に共感してくれる人からの 「ヘルプコール」があれば、 そのとき初めてサポートすればいいや、 そう思い始めました。
 

例えは古いのですが、 初期の仮面ライダー達の良き理解者、 「おやっさん」こと立花藤兵衛氏のようなイメージ。
 

あんな感じになりたいなぁと。
 

問題はオンラインでどこまでやれるかですが、 まぁ、そこはいろいろ試してみたいと思います。
 

【追伸その2】
 

ふと思ったのですが、 今回お伝えしたかったのは、 「エニアグラムの解釈や存在自体を  『アート』と捉えてみては?」 ということだったのかもしれません。
 

アートであれば、 受け手として観賞して楽しむことも、 作り手として自由に発表することもできるからです。
 

もちろん、研究家とか批評家という アートへの接し方もあるのでしょう。
 

でも私としては 一番リスペクトできるのは作り手であり、 一番楽しいのは観賞かなぁと思うのです。

URL :
TRACKBACK URL :

コメント&トラックバック

  • コメント ( 6 )
  • トラックバック ( 0 )
  1. また来ました。
    エニアグラムに限らず、性格論の世界では「同じ体系について語っているはずなのに、人によって云う事が違う」と云う現象に出会うのですが、僅か2年でここまでの境地に到達したのはさすがだと思います。
    ただ、私はここでエニアグラム固有の問題を付け加えたいと思います。fftp資料では、ガッツに対し「抵抗・反発・怒り」、ヘッドに対し「回避・不安」、ハートに対し「依存・他者・つながり」の様な言葉が与えられています。とすると、言葉の印象だけをたどれば、ガッツ=自己主張的、ヘッド=遊離的、ハート=融和的となるのが、納まりが良い気がします。
    そういう目で見ると、タイプ2・5・8の記述は人によってもそんなにブレはありません。各センターを最も首尾一貫して使っているタイプの様に思えます。逆に他のタイプは「○○センターのタイプ」であっても他のセンターの影響も強く受けており、その微妙なバランスでいろんな記述が生じてしまうのではないでしょうか(特に6)。
    今日はここ迄にします。

  2. 篠田工治@破壊者の母

    たびたびコメント有難うございます。
    当記事の内容は、
    これまでずっとモヤモヤしてた気持ちを
    整理する為に書いたモノです。
    ある意味タブーなのは承知してて、
    読者さんからの
    「お前が言うな!」
    ってツッコミを覚悟しながら書きました(苦笑)。
    ここ2ヶ月ほどの間、
    エニアの活動をこれ以上続けるかどうか
    悩んでいたのですが、
    「エニアグラム=伝え手のアイデンティティ=アート」
    と捉えることで、
    ようやく先に進む決心がついた次第です。
    多分真意は綾紫さんに伝わっていると思いますが、
    「伝え手の価値観の違い」とは
    どちらかと言えば各性格タイプの捉え方よりは、
    「伝え手がエニアグラムをどう捉えているか?
     どんな世界を実現したいのか?」
    というマインドセットの違いのことを指しています。
    書籍の構成で言うなら、
    冒頭とまとめの部分、
    そして文脈を通して訴えかけてくるテーマ。
    例えば矢印の解釈の仕方は
    「正方向=囚われ・不健全」
    「逆方向=成長・健全」
    と語られることが多いと思うのですが、
    私としては「善悪・正誤」の二元論ではなく、
    常に変化し続けるコインの表裏として考えたい。
    「その人が置かれた文脈次第で解釈は
     どちらにも転ぶよね」ってな感じで。
    もちろんこれは私の価値観なのですが、
    それは著者でいうなら、
    レニーバロン氏、
    ヘレンパーマー氏、
    カレンウェブ氏の価値観に近いです。
    特にレニーバロン氏の書籍では各タイプの
    「矢印正方向(不健全)の表側」
    「矢印逆方向(健全)の裏側」
    をハッキリと示しており、そこに共感を覚えます。
    (同氏がタイプ2だからかもしれませんけどね)
    あのバタ臭い漫画さえなければ
    もっと売れただろうにと思うことしきりです。
    話は変わりますがfftpについては
    約1年前に作った資料であり、
    早く修正しないといけないなぁと思っています。
    特にセンターの解釈については、
    もっと違う切り口にならないかと模索してます。
    (センターの重要度は下げると思いますが)
    綾紫さんのご指摘にある、
    タイプ258についてのブレの無さというのは、
    おっしゃるとおりかも。
    誰の著書だったかは忘れましたが、
    「タイプ258はそれぞれのセンターの特性を出しすぎる」
    という観点があったと記憶しています。
    ホーナイの3つ組という観点からも
    これら3つのタイプはいわゆる
    「キャラが立っている(ブレが少ない)」
    という表現がピッタリかもしれませんね。
    更に3つのタイプの中でも
    タイプ5における伝え手の表現のブレが
    一番少ない気もします。
    それ故、ネタにしにくくて困ってます(笑)。
    タイプ6については、
    ブログではまだお伝えしていないのですが、
    キャラチェンの多彩さや落差において
    「エニアグラムの中のエニアグラム」
    と解釈しています。
    なので教材のボリュームは
    他のタイプの2倍になってます(爆)。
    以上ダラダラとしたコメントお許しを。

  3. 私の最近の解釈です。
    哲学などは、疑問に感じた物事の観点を、
    納得のいくような観点に創造してしまうことなのだな、と、思っています。
    様々な本を読みながら偉人の格言に対し、「この人自分の世界観でもの言ってるなあ」とか、一人密かにつぶやいてしまっている私です。
    エニアグラムも、それに似ているな~と
    思いました。
    納得のいき方や、疑問に思う点が人それぞれ違うので、
    歴史上の、偉人たちの言葉を沢山読んでも、
    確かに、私個人に響く言葉と響かない言葉があり、
    響いた言葉だけを改めて並べて見てみると、それらからどこか一貫性というか、共通した観点を感じます。彼らは私とどこか共通点のあるタイプなのだと思います。
    しかし、私がもがき抜いて悟った言葉を、「そんなの当たり前のこと」一言で終わらせる人に、救われる事もあります。タイプが遠すぎてかえって、井の中の蛙にならずに済んだりします。
    人間の多様性があるからこその、このコントラストなのだなあと思いました。
    曖昧な表現で申し訳ないです。
    自分というキャラを人生でよりうまく生かすには、
    エニアグラムというツールでアイデンティティをはっきりさせていくのは
    とっても有効だとおもいます。
    理解するのに在る程度の時間と勉強がいるぐらいの深さなので
    広がりにくいのは仕方ないでしょう。
    誰からも好かれたいし嫌われたくない、だからいい人であらねば成らないという恐れを手放し始めた私です。まだ自分の深いところに目を向けることが怖いのですが、私が悟った事とは、万人に通じる在り方などない。自分が既に持っているもの(キャラ)を役立てて生かすことがその人個人の充実に繋がるのではと思いました。
    自分なりの考えですが。
    因に、篠田さんのブログ共感するところありで、おっしゃりたい事がとてもよく伝わっている気がして
    読ませていただいてます!多分、同じタイプかと思います。

  4. 篠田工治@破壊者の母

    素敵なコメント有難うございます。
    ぶっちゃけ「もがかない」という
    選択肢もあったと思うんですけどね(苦笑)。
    よく、
    「美しくて優雅に見える白鳥(水鳥だっけ?)も
     水の下では懸命に水を掻いている」
    なんてこと言います。
    もがき苦しむ姿と、
    それを乗り越えた姿の「落差」が
    美しさを際立たせていると思うワケです。
    そういう方から、
    こうやってお声をかけていただけるのは
    純粋に嬉しいです。
    これ以上、下手にコメントすると
    自分の底の浅さがバレてしまって、
    アレなんですが一点だけ。
    「恐れ・執着・囚われ」
    呼び方はいろいろだと思いますが、
    そういうものは、
    ただ一方的に捨てるものでは無い気がします。
    そもそも不要なものなら、
    既に人間の進化(退化?)の過程で
    ごっそり削ぎ落とされていると思うからです。
    生物学?哲学?引用元は忘れましたが
    「存在するものには意味がある」
    ということ。
    根拠の無い持論ですが、
    「恐れ・執着・囚われ」というのは、
    純粋で無垢な「生きたい!!」という願い、
    つまり生きていく原動力に直結していると思うからです。
    生まれてきたばかりの赤ちゃんが、
    「お腹すいた!!」
    って号泣する姿と言えばいいのかな。
    それを一方的に放棄したり否定したりするのは、
    血肉を持った動物としての側面や、
    情動や感性の否定につながる気がしてならないのです。
    「いやいや、それはもはや人間ではないのでは?」
    というツッコミを入れたくなっちゃうし、
    少なくとも、
    「それって『あなた』ではないのでは?」
    と言いたくなっちゃう。
    もちろん、ただただ号泣するのは困りモノだけど、
    腹八分目まではなんとかお腹を満たせるよう四苦八苦してみる。
    ある程度空腹が満たされればこそ
    初めて冷静になり、
    「ああ、もう恐れなくていいんだ」って
    頭で気付くものだと思うのね。
    「無駄に泣き喚いたから、
     ありつくのに時間かかったのか!(汗)」とか
    「足りない!足りない!って思ってたけど、
     もう吐きそうなくらい飲んでたわ(苦笑)」みたいな。
    ハードルが高い言葉やキレイ事を受け入れるのは
    それからでも遅くないんじゃなかろうかと思うのです。
    言いたいことは尽きませんが、
    「一点だけ」と書いた手前、ここまでにしておきます(笑)。
    無茶苦茶な文章で申し訳ないですが、
    「行間」で想いを感じ取っていただければ幸いです(爆)。

  5. こんにちは(?)
    3ヶ月~半年前くらい前(?)に、はじめましての連絡をさせていただいたタイプ4のものです。
    前回の更新から間が空いたことで、
    「辞めてしまうのではないか」
    「オンラインでの無料情報提供は終わりかな」
    「他に何かあるのかな」
    と、色々と考えつつ、何度も訪問してました。
    つまり、辞めないでいてくださって私にはよかったです。
    ちなみに私は、耳にも眼にも痛くても、本音がやっぱり好きです。それがその人の現実だと思うので。
    普段は拝見ばかりしてますが、タイプ4だからか、価値観の変化(成長と呼びたい)を間の当たりにし、おとなしくはしていられませんでした。祝福モノです(笑  
    この変化はきっと、さわやかな風が吹くような、すっきりした気分になったのではないでしょうか。
    祝福って、英語でblessですけど、今回の場合、その主語って何かって考えると、やっぱり私にはそれは「大いなるもの」みたいなものだと思えて、ウラヤマです笑  
    が、「人の価値観の変化」とか、「自己再生」、とか、「灰から蘇る不死鳥」、みたいなのが、こんなきれいだとは知りませんでした。
    でもよく考えると、、、この3つの「 」は、過去を総括して、自己完結しているような、自分の内側だけのコミュニケーション(思考)で創造されている気がするあたり、
    「口出し等の軽めの、人の評価・意見を最重要視しない状態」に入っている、ってことだと思うので、
    その結果にblessがあるとすれば、blessは人から受けるような他動詞ではなく、自動詞か形容詞が本来の用法だと思いました。
    その祝福(bless)って、一般的に言ってセレモニーのおまけだとしたら、それ自体を目的にしたり、メインの動詞(行動)にするのではなくて、儀式が終わった証の状態(形容詞)だと思うんです。
    で、儀式が終わったということは、その人って何らかの別のカタチになり始めたってことだと思うんです。
    つまり、「悩み」って、人を別のカタチにするっていう意義とか効能を持つ、自前の儀式なんじゃないかと、そう思ってしまいます。
    感性コンボでしょうか笑
    ニュー篠田さんなんだと思います笑
    これからも拝見します。
    あと、来年度(来月)から社会人になるので、お金がたまります。有料のものも期待しています。

  6. 篠田工治@破壊者の母

    koatさまへ。
    素敵なコメント有難うございます。
    「再生」と「不死鳥」という観点は、
    英雄神話や数多くの物語に含まれていて、
    私もよくそのことについて考えます。
    ぶっちゃけた話、
    「リバースエニアグラム」なんて
    名前も考えたくらいでして(笑)。
    「神の祝福」とか「仲間の祝福」は、
    それを受けるだけの自信とか矜持とか挑戦という
    自意識が前後に伴うものなんでしょうね。
    無意識かもしれないけど。
    もちろん私の場合は後者でして、
    場当たり的な苦肉の策という気もします(苦笑)。
    ただ、今回良く分かったのは、
    「知識としての言葉」から
    「自分の内側に既にある言葉」への
    変換、翻訳作業の大切さ。
    この作業を避けていると
    いつまで経っても何も変わらないと思うんです。
    どんなに素晴らしい方の御言葉であっても、
    ただやみくもに暗記して唱えているだけでは
    効果はなくて。
    その意味ではどこまでいっても人に与えられるのは
    「ヒント」までなのかと認めざるを得なかった、
    こんなところです(笑)。
    koatさんのご活躍をお祈りします。

コメントをどうぞ

*
*
* (公開されません)

*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

Return Top