
破壊者の母、篠田工治です。
以前からやりたいと思っていた矢印考察ですが、調べ物とかやっぱり時間がかかりますねー。
ボリュームもドンドン増えてしまって、この調子だと10回を超える考察になりそうな気がしてます(汗)。
さて今回は趣向を変えて、性格を知ることがなぜ難しいのか、その理由について考えてみようと思います。
性格を知ることは難しい
いきなりですが、エニアグラムに興味があっても、自分の性格タイプ取り違えている人は少なくありません。
私ゃバカなので書いてしまいますが、タイプ診断を申し込まれた方のうち、ご自分のタイプを取り違えていた方の割合は今のところ7割を超えます。
もちろんタイプが分からなくて困っていればこそ診断を申し込まれるのであり、私の診断精度も決して100%ではありません。
なのでこの「誤認者が7割」というショッキングな数値は、あくまで「篠田のタイプ診断」という特殊な事例として解釈すべきでしょう。
でもエニア学習者全体としての誤認率も決して低いワケではなく、体感値ではありますが大体3,4割って所でしょうか。なんだかんだ言って、自分を客観視するのは難しいですから。
では逆に、他者のタイプを判断することについて、その精度が気になりますが、実はこちらも正当率はそんなに高くないと感じています。
例えば、芸能人やら有名人をタイプ分けする人は少なくないのですが、判定をする人によってその結果が異なることは珍しいことではありません。3人の方が、とある有名人につき三者三様のタイプを判断したのであれば、すくなくとも三分のニの方は間違えていることになります。(全員不正解の可能性もあり得ます)
もちろん近しい人のタイプを見誤るのは少ないのでしょうが、様々な理由により、他者の性格を正しく理解することも決して簡単ではないのでしょう。
例えば私の場合、受診者さんのタイプを診断するのに、2万文字以上のメールのやり取りをしないとハッキリとタイプをお伝えする自信が持てなかったりします。
ジョハリの窓
自分の性格だけでなく、他者の性格も正しく理解するのは難しいとして。
このコトを考えると、私は心理学とかコミュニケーションを語る時に出てくる「ジョハリの窓」という図を思い出します。
ウィキペディアさんから引用します。
ジョハリの窓(ジョハリのまど、英語: Johari window)とは、自分をどのように公開ないし隠蔽するかという、コミュニケーションにおける自己の公開とコミュニケーションの円滑な進め方を考えるために提案されたモデル。
心理学者のジョセフ・ルフト氏とハリー・インガム氏が考案したことから「ジョハリ」と呼ばれるのですが、まぁ、図を見たほうが早いですね。
長方形を縦横の線で4つの領域に区画し、それぞれに
- 開放の窓=自分も他者も分かっているオープンな自己特性
- 盲点の窓=他者は分かっているが自分だけが気付いていない自己特性
- 秘密の窓=自分には分かっているが他者に見せていない自己特性
- 未知の窓=自分も他者も気付いていない自己特性
という名前をつけた図、これがジョハリの窓です。
で、この図が一番言いたいのは「人との良好なコミュニケーションの為には、自己認識と自己開示によって開放の窓を大きくするのが大事」ってこと。
図で表すと、
こんな感じで、窓の縦の「桟(さん)」を右方向にずらし、横の「桟(さん)」を下方向にずらすという意味です。
例えば、他者に自分のことを聞いて盲点になっている自分の特性に気付き、他者に対しては積極的に自分のことを伝える。
そうすることで自分の盲点や秘密にしていることが少なくなり、自ずと「自他共に知らない特性=未知の窓」も狭くなって良好なコミュニケーションが可能になる、という寸法です。
そもそもエニアグラムを学ぶ目的の1つとして「他者とのコミュニケーションに役立てたい」という人は少なくないと思います。
そして「自分や他者を知る」というのはエニアグラムを学ぶ一番の目的でしょうから、このジョハリの窓の考え方はとても参考になる気がします。
人は誤解しやすい生き物
ただ一方で、このジョハリの窓は「言うは易し行うは難し」の典型例だと思うのです。考え方がキレイ事過ぎるというか、楽観的過ぎるというか。
個々の性格にもよるのでしょうが、そもそも他者に自分のことを聞き、ましてやその内容を素直に受け止めることはハードルが高いと思います。
またまた私ゃバカなんで書いちゃいますが、タイプ診断の結果をお伝えしても、大体3割の方はその結果を受け入れられなかったりします。(もちろん私の診断が間違っているかもしれないけどね)
同じく、他者に自分のことを伝えるのが困難と感じる人も少なくありません。
そして、これが一番の問題だと思うのですが、人は自分や他者のことを誤解しやすい生き物なんです。
それゆえ、「自分はこういう人間だ!」と思ってしまったら、それを修正することが難しく、相談相手がせっかく真実に近いことを伝えてくれているのに、中々それを受け入れられない。
逆に、「あの人はこうに違いない!」と思ってしまったら、同じくそれを修正することは難しく、せっかく本人が本当の自分に気付きかけているのに、結果としてお門違いな意見や助言をしてしまう。
エニアに関係なく、実際こういうことってよくありますよね。どちらの立場であれ、多分私もやってしまっていると思います。
こういった場合、多分どちらが悪いということではないのですが、そんな誤解の弊害を恐れるがゆえ「他者に相談しない、他者の意見を受け入れない、自己開示しない」等とうそぶくこともできるワケです。
ジョハリの窓の太い桟
つまりこの誤解こそが、自分や他者を知る上で最も大きな障壁になるってことです。
ジョハリの窓で言えば、縦横の桟を動かして「知っている」領域を増やしたくても、「自他への誤解」が桟を太くしてしまって動かせない状態。
図にするとこんな感じですね。
ゴーマンかましてしまえば、ジョハリの窓に足りないのは次の観点だと思うのです。
- 「知らない」と「知っている」の間には「誤解している」というもう一つの領域がある
- 多くの人は「誤解している」領域、すなわち「誤解の太い桟」の中にいる
- 「誤解の太い桟」の中にいては「知っている」領域を広げることはできない
(弁証法的に考えれば誤解とは「知らない」と「知っている」の融合であり、「知っている自覚はありながら実質的には知らない状態」だと言えます)
ではこの問題はどう解決したらいいのでしょうか?
私は「誤解の太い桟」の中から「知らない領域(盲点・秘密・未知の窓)」に移り、まずは誤解状態を解くことが先決だと考えています。
分かりにくいのでステップを図にすると、
こんな感じです。
まずは自他を誤解した状態から「実は自分は何も知らないのだ」というニュートラルでフラットな感覚を持ってみる。
これは、言わば凝り固まった観念から解放され、柔軟で自由な発想ができる柔らかアタマ、白紙状態になるということです。
そうすれば、色んなことが次々に見えてきたり、他者からの真実の声をすんなり受け止められるので、自然に「知っている」領域が広がると思うのです。
私は哲学の素養は全く無いのですが、案外これがソクラテスの言う「無知の知」なのかもしれません。
例えば、少し前に読者さんから「篠田さんってタイプ5では?」というコメントを頂戴したのですが、「ああ確かにこういう文脈ならそういう風に見えるかも」と怒りや拒絶することなく検討できる状態。
多分これが「知らない」という領域に入ることなのだと思います。(上記コメントに対する反応は、たまたまというか、結構真剣にタイプ5だったらいいなぁと思うのですが_笑)
こんな感じで「誤解」から「知らない」領域に移行できて初めてジョハリの窓が正しく発動する。私はそう思うのです。
今回はここまで。
当記事があなたの性格タイプを知る参考になれば幸いです。
この手の話は結構大事なことなので、近いうちに(?)続編も書きたいなぁと思っとります。
2013.05.08追記 続編書きました。
それではまた。
追伸
昨年2012年の5月にアメブロとFC2ブログから引越した当サイト。
おかげさまで開設からちょうど1年で月間10,000ページビューに届きました。
ずっと月間10,000を目標にしていたので、嬉しいやらホッとするやら。
読者の皆様にはお礼申し上げます。有難うございます。
タイプ考察など遅々として進まなかったりしますが、今後もご愛顧いただけると幸いです。
おもしろいblogありがとうございます。拝見いたしました。
特に「桟」の辺りは大変興味深く、気付きの多い記事でした。