
リバエニの篠田工治です。
今回はエニアグラムの矢印考察第13回目です。
前回は「シンボル図全体を眺めて感じたこと」と題し、
- 円周からは全体、一体、バランス、緊張感を連想する
- 9つの頂点に同格、個別性、独自性、力強さ、役割分担、光を連想する
- 直線と曲線は9つの頂点が絶えず双方向に動いている軌跡に見える
- 1つの頂点にフォーカスするとハブ空港や人の形が見えてくる
という4つの解釈をお伝えしました。
「エニアグラムとはどこまでいっても抽象的な図の解釈でしかない」ということさえ腑に落としてしまえば、かなり自由に取り組むことができてgoodです。
当面の矢印考察の予定
- シンボル図全体を眺めて感じたこと・・・(済)
- 篠田が考える矢印解釈
- 他の矢印解釈に対する意見
- 独自解釈に至った理由
- 結局リバエニは誰の為のエニアなのか?
ようやく篠田が考える矢印解釈にたどりつきましたが、スミマセン。
今回は矢印の本質を極々簡単に触れるとどめ、その代わり『型』を持つことの意味についてお伝えします。
矢印を語る上でどうしても必要なことなんです。
目次
矢印=人が生き抜くために必要な柔軟性
最初に結論ですが、エニアグラムにおける矢印とは簡単に言えば「人が生き抜くために必要な柔軟性」ということになります。
実用日本語表現辞典さんから引用します。
【柔軟性】
読み方:じゅうなんせい
その場や状況に応じて行動や機能などを素早く変化して対応することができるような性質のこと。臨機応変な性質。
十分な解説ですが、大事なのは「状況に応じる」ことと「変化」の2つで、それは生を全うする為に必要なことなんですね。
これが矢印の本質になります。
ただ、この矢印の本質を理解するためには、そもそも「性格タイプとはなんぞや?」ということを先に確認しておく必要があります。
なぜなら柔軟性とは、対極となる「型(を持つこと)」という言葉を前提に成り立っているからです。
もちろんここでいう「型」とは性格タイプを表します。
それでは以下、性格タイプの説明をします。
性格タイプとは?
性格タイプとは性格の類型、すなわち「型」を意味します。
「人の性格の土台には幾つかの雛型(テンプレート)が有る」とするのが、エニアグラムを含めた性格分類や類型の基本的な考え方です。
人は物心がつく前に、直感や本能を駆使しながら検証を重ねることで、置かれた環境に最適な性格の型を1つだけ選びます。
そしてその性格の特徴を頼りにして、厳しい環境を生き抜こうとするんですね。
さきほど「矢印とは人が生き抜くために必要な柔軟性である」とお伝えしましたが、人が性格の「型」を持つことの意味も同じく「生き抜くこと」にあるのです。
型を持つことの3つのメリット
それではなぜ、性格の「型」を持つことが「生き抜く頼り」になるのでしょうか?
これは武道や格闘技を考えると分かりやすいと思います。
現代の日本人にとって、これらは芸事やスポーツといった趣味の領域として認知されています。
でも、もともとは「殺るか殺られるか」、動物的表現なら「食うか食われるか」という、命をかけた勝負の為に生まれたモノです。
まさに「生き抜く頼り」だったワケです。
そして、ボクシングでも空手でも剣道でもなんでもいいのですが、そういう勝負事に携わる人が常日頃やっているのは「型稽古」ですよね。
ある意味地味な「型稽古」を疎かにしていては、いつまでたっても強くなれないし勝負にも負ける。
逆に言えば「型」を磨き上げればそれだけ勝率(生存率)が高くなるということです。
では何故「型」を持つことで生存率が高まるのでしょうか?
私は型を持つことで次の3つのメリットが生まれると考えます。
- 認知を省くことで素早く行動できる
- 一つの技に特化することで効率と効果が増す
- 脳で消費されるエネルギーを節約することでスタミナを温存し、判断ミスを避けられる
以下、順に説明します。
認知を省くことで素早く行動できる
第一に、素早さがなければそもそも相手に触れたり、かわしたり、先手を取ることもできません。
場合によっては、先手を取れるかどうかだけで殆ど勝敗が決まってしまうことも多いでしょうから、この素早さは「型」を持つことの一番大きなメリットになります。
ではなぜ「型」を持つと素早く行動できるのでしょうか?
それは頭を使って思考したり判断するといった、いわゆる「認知」にかかる時間を省くことができるからです。
これは言い方を換えれば「反射的に自然な行動ができる」ということです。
無茶苦茶熱いモノを直に触ってしまった時、「熱い!」と感じる前に手を引っ込めるアレですね。
反射的に行動できるのであれば、攻撃なら相手に考えるスキを与えないし、逆に先手を取られた場合でもなんなく攻撃をかわすことができます。
「殺るか殺られるか」の世界では、次の行動をいちいち頭で考えて決定を下している時間は無いということなのでしょう。
一つの技に特化することで効率と効果が増す
次に「一つの技に特化することで技の効果と効率が増す」ですが、これもやはり生死を賭けた勝負で考えるといいです。
いくら素早さがあっても技の効果が低ければ一撃で仕留めることはできず、その分相手から反撃を受ける確立が増します。
効率よく技を繰り出さなければ、余分な力が入って攻撃をかわされたり体力を消耗して、同じく反撃を受ける確立が増します。
つまり効果と効率を伴わない技は勝負の役に立たないのです。
そしてここが重要なのですが、勝負に勝てる程の技の効果と効率を増すためには、何か一つの方針というか「決め手」を選ばなくてはなりません。
変な例えですが、いきなり生死を賭けた異種格闘技トーナメントに出るハメになったとします。
そんな場合、なんの知識や指導も受けないまま自己流で訓練しても多分生き残ることはできません。
棒状の武器なら剣道とかフェンシング、打撃ならボクシングとか空手、投技や寝技なら柔道とかレスリングなど。
体格とか素養はさておき、何か決め手となる技に特化した種目(すなわち型)を一つ選び、それを習熟することではじめて生存の可能性が出てきます。
練習に充てられる時間は限られているのですから、あれもこれもと手を付ければそれぞれの技の効果と効率が上がるワケはありません。
格闘技に限らず「一芸に秀でる=一つの型を習熟する」ことが、勝負の鍵になるということです。
脳で消費されるエネルギーを節約することでスタミナを温存し、判断ミスを避けられる
まず、「脳で消費されるエネルギーを節約できる」については、以前どこかでお伝えしたと思います。
そもそも物事をその都度考えたり判断することはエネルギーをかなり消耗するんです。
脳は体重の2%しかないけど、エネルギーは全体の20%も使うというアレですね。
特に大事なことを判断する際には莫大なエネルギーを消費しますから、そういうことはなるべく避けようとする本能が人間には備わっています。
まぁ、このあたりは誰もが納得できるはず(苦笑)。
なので物事を判断する方針が型としてある程度決まっていれば、それだけ頭に使うエネルギーを温存することができます。
これは特に勝負が長引く場合は体力(スタミナ)的に有利なんですね。
逆に、常にいちいち頭で判断してスタミナを消耗すれば、技のスピードや効果は自ずとダウンするので、勝負は不利になります。
そして、これも大事なことですが、常に難しい判断や厳しい決断に迫られていると、脳が疲れきってしまって判断ミスを犯すようになるんです。
それはどれだけ理知的で辛抱強い人であっても同じで、脳の限界を超えれば、いずれは魔が差したり、普段はやらないような致命的なミスを犯してしまいます。
この「脳の限界を超える=決断疲れ」のことを社会心理学者のロイ・バウメイスター氏は「自我消耗」と名付けていて、
- 意志の力には限界がある
- 自制心を発揮したり厳しい決断を繰り返せば意志の力は消耗する
- 意志の力が枯渇すれば誤った判断をするようになる
- 意志の力を回復するには甘いモノや休息が必要
といったことを主張しています。
生死を賭けた勝負であれ、生存競争であれ、そこでなされる決断はとても厳しいものです。
常に頭で判断していれば、いずれは一瞬のミスによって負けてしまいます。
それを避ける意味でも、判断を「型」に委ねてしまうことは、とても有用なのです。
性格タイプとは生存戦略の型
以上、
- 認知を省くことで素早く行動できる
- 一つの技に特化することで技の効率と効果が増す
- 脳で消費されるエネルギーを節約することでスタミナを温存し、判断ミスを避けられる
の3つが「型」持つことのメリットでした。
こういう多大なメリットがあるゆえ、通常「出来る人」は一つのジャンルを決めて「型稽古」に精を出すのです。
これは武芸や格闘技にかかわらず、人の性格も同じことが言えます。
厳しい環境に対応して生きていくとは、生存競争という勝負事に巻き込まれることを意味するからです。
そこで必要になってくるのが、物事の見方や考え方、行動の仕方を一つの方針、型に落としこむことです。
ビジネス書をよく読む人なら「型=フレームワーク」と言ったらピンとくるかもしれません。
一つの「型」をなんでもいいので選び、習熟し、使いこなせば、それだけ有利に生存競争に参加することができます。
ただ、こういった考え方は「平穏」こそが大事だと考える人にとっては耳障りかもしれませんね。
でも人が生きていく上で、競争(動物的には淘汰)から無縁で居続けることは現実には不可能です。
受験にしろ、就職にしろ、商売にしろ、人間関係にしろ、人が人らしく生きることには多かれ少なかれ競争原理が付きまとうからです。
だからこそ人は性格という思考や行動の「型」持ち、生き残りをかけるのです。
その意味で性格の「型」とは生き抜く為の武器や戦略であり、生き抜く力そのものです。
だから私は性格タイプを一文で説明するなら「人が最初に選んだ生存戦略の型」が一番的確だと思うのです。
今回はここまで。
性格タイプという名の「型」を持つことも、矢印という名の柔軟性を持つことも、全ては生き抜く為にある
ということが理解できればそれでOKです。
次回は今度こそ(?)具体的な矢印解釈をお伝えしようと思います。
それではまた。
2013.9.8 追伸
「銀河の雫」さんより、
「次々となにかを選択し、判断を下す」という行為は、 脳に多大な負担をかけるので、そのため難しい決断を続けていると、 「決断疲れ」に陥って正しい判断が下せなくなる
という、とても有難いコメントをいただいたので、さっそく「型」を持つメリットとして追加しました。
実は私、この「決断疲れ=自我消耗」という言葉自体は今回はじめて知りました。
でも、もともと矢印考察の中で、これと同じ意味の「人には限られた精神力(RPGでいうマジックポイント)しかないので、枯渇すると心身を病む」という解釈をお伝えするつもりでした。
「自我消耗」は私なんかと違って、ちゃんとした心理学者の説ですから、これで自分の解釈が間違っていないことを確信できたのでホッとしています(汗)。
結局「矢印やウィングタイプへの移行はどちらの方向であっても精神力を消耗するんだよ」ってことが言いたいのですが、そのあたりは多分次々回くらいに出てきます。お楽しみに。
対局中の棋士はただ座っているだけでも、
もの凄くお腹が減るそうです。
タイトル戦ともなると、体重が数キロ減る棋士もいるとか。
作家も、原稿用紙(パソコン)に向かっている間は、
座っているだけなのに、お腹がペコペコになると言います。
それだけ脳はエネルギー食いの臓器なわけです。
一定のパタン(型)を決めて、それに従うことで、
(判断・決断)に伴う脳の負担を軽減することが出来ます。
性格によって、判断・決断のパタン(型)は異なりますので、
性格もまた、脳の負担を減らすための型とも言えそうですね。
「次々となにかを選択し、判断を下す」という行為は、
脳に多大な負担をかけるので、そのため難しい決断を続けていると、
「決断疲れ」に陥って正しい判断が下せなくなる
ttp://courrier.jp/blog/?p=9869
スティーブ・ジョブズがいつも同じ服を着るのは、
何を着ようかな、という決断を避けているのです。
決断の回数を減らす(脳の負担の軽減)には、
何かを決めて(型・パタン)それでやりきってしまう…。
同じものを食べる、同じ服を着る、ランチは500円以内と決める、
メールがきたら10分以内に返す、300円以内の食材だったら一番高いものを買う、
ttp://blogos.com/article/38115/
ジョブズのプレゼンの際の服装はいつも黒無地のタートルニット、
リーバイスのジーンズ、ニューバランスのスニーカーだった。
1998~2011・・いつも全く同じファッション
ttp://livedoor.blogimg.jp/fashion_2ch_matome/imgs/f/7/f7862e25.jpg
生活する上での精神的な負担を減らすため、
社会で好ましいとされるキャラを装うこともあるみたい。
タイプ7と目されているタレントが、
本当は懸命に努力して明るく自由なキャラを演出していたり。
調査では、米国人の3分の1から半分は内向的な性格です。
でも、米国人は誰もがとても外向的に見えます。
(外向型のように振る舞うよう訓練されているため)
社交的で活動的であることが何より評価される米国では、
外向者は善で、内向者は悪みたいな価値観も。
外向・内向は遺伝的な要素が強く、
脳の働き方や脳内物質への反応も違うことが
分かってきました。ですから、内向タイプの人が、
表面だけ外向的に振舞ったからといって、
性格そのものは変わりません。
エニアグラムは外向タイプの評価に偏った
アメリカ社会で主に発展したこともあり、
内向タイプへの偏見が感じられることもあります。
例えば、タイプ5の「知識の溜め込み・抱え込み」
これは悪いイメージがありますが、
この特性はタイプ5というより内向型によく見られる特徴で、
どちらと言えば長所です、、。
雑多な知識(種)が多いほど斬新なアイデアは閃きます。
外向型(社交的)は対話によってアイデアを発展させる。
内向型は他者にアイデアや情報を与えることに消極的。
外向タイプにはこれが⇒悪に見えたり。
「…内向性に特有の抱え込む能力があるからこそ、
アイデアが沸き立ち、形になるまでのアイデアが与えられる。
アイデアや書物や発明が生みだされる時、
※わたしたちは自分自身より大きななにものかと交信している。
そうして創造へ参加しているのだ…」
例えば、寝る前に一生懸命考えていると、
起床と同時に解決策が閃いたり、考え疲れて、
ボーっと歩いている時にヒントが脳裏に浮かんだり。
風呂でユーリカと叫んだアルキメデス。
散歩中にりんごの落下を見て閃いたニュートン。
アインシュタインは光線に乗る夢をヒントに相対性理論を完成。
ワトソンは、蛇が互いにぐるぐると絡まりあっている夢をヒントにDNA理論を完成。
うたた寝で創作の芸術家ダリ。
※物語にしても、芸術にしても、科学的な発見・発明
にしても、真に偉大な創造は、
「自分自身より大きななにものか」との交信・対話
なくしては生まれないような気がしています。
コメントありがとうございます。
タネ明かしになりますが、型と柔軟性は双方必要で素晴らしい機能ですが、多くの人にとって必要なのは型を活用することの方だと私は思っています。
エニア本を読むと、各タイプの解説を除けば結局「『型』は不要だ、外せ」ということばかりですが、私はそれは違うと思うんです。直感や本能的に。
エニアグラムを作り上げてきた人の属性とか文化とか宗教観を考慮すれば、「型」が嫌いなのは理解できなくはないのですが・・・。
つまるところ、特徴とか特性はそれ自体に色はなくて、全ては文脈とか視点次第だと思うんです。善悪とか評価の良し悪しも。
外向的な性格を良しとする文化風潮にも、それなりの経緯があってそうなったのでしょうし、逆も又しかり。
大事なことは、その自分の型を活かせる文脈を探し、実現することなんです。
変えられるかどうかも分からない自分の型を変えるよりは、多分その方が楽です(笑)。
内向的なら、その内向性が生きる文脈、この場合は居場所と言った方がいいかな。
そういった自分の居場所を探し、維持することに労力を使った方が心の安寧が得やすい気がするんですよね。
あと、
> 「次々となにかを選択し、判断を下す」という行為は、
> 脳に多大な負担をかけるので、そのため難しい決断を続けていると、
> 「決断疲れ」に陥って正しい判断が下せなくなる
については、全くそのとおりですね。補足有難うございます。私では気付けませんでした(汗)。
早速ですが本文に活用させていただきます。
>特徴とか特性はそれ自体に色はなくて、
私もそう思います^^
>善悪とか評価の良し悪しも。
長所といっても、時と場合や状況、見方によっては短所ですし、
短所もまた、時と場合や見方、状況によっては長所です。
絶対的な見方とか評価というものはないでしょうね。
>変えられるかどうかも分からない自分の型を変えるよりは、
>多分その方が楽です(笑)。
もって生まれた持ち味を生かすほうが効率は良い思います。
矢印にしてもウィングにしても、
持ち味とあまりにかけ離れた型に移行し維持し続けるのは、
労多くして、になる可能性もありそうです。
(短距離に向く筋肉の持ち主がマラソンに挑むみたいな)
私の場合、1・3・6・8のパワーが哀れなほど低レベルで、
この方面を維持するのは難しい感じ。
内向⇔外向のレベルには強弱があって、
大きく左右に偏っている人もいれば、
中間あたりに分布している人もいます。
エニア各タイプの強弱も個々人によって異なりますから、
元々強めに持っているタイプに向かうのでしたら、
矢印にしてもウィングにしても、
比較的負担は軽いかもしれません。
>型と柔軟性は双方必要で素晴らしい機能ですが、
矢印は各タイプの幅を広げる方向に向かってもいますから、
その点は素晴らしいといえますね。