リバースエニアグラム

エニアグラム矢印考察第20回「なぜ正方向に進みやすいのか・意識的な移行は可能なのか・移行先になりきれるか」

エニアグラム矢印考察第20回「なぜ正方向に進みやすいのか・意識的な移行は可能なのか・移行先になりきれるか」

リバエニの篠田工治です。

今回はエニアグラムの矢印考察第20回目です。

矢印考察一覧

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前回は、

  • 矢印への移行は「遺産の取り戻しと萌芽の先取り」という時間旅行
  • 調律(修復)機能の根拠は「原点回帰と未来進化は同時に起こる」という弁証法の螺旋的発展の法則
  • 矢印タイプの特性が弱まってしまうのは、それが基本タイプの進化前、進化後だとしても、質的な変化を遂げて別物になっているから
  • 基本タイプの修復を調律と呼ぶのは、ギターの調律のように上下(進化の前後)の振れ幅を出してから次第に中央値に合わせていくから

ということをお伝えしました。

矢印正方向が進化前で過去、逆方向が進化後で未来で、基本タイプの時間区分が今現在であるなら。

矢印タイプへの移行とは時間旅行だと言えるし、余り勧めたくはない表現ですが現世から前世、後世への旅行とも言えるんでしたね。

そして全ての進化は一直線に右肩上がりに進むのではなくて、同時に過去への回帰や復古を伴う、というのが弁証法で一番重要な螺旋的発展の法則でした。

矢印の調律(修復)機能とは、矢印双方向の特性を補充することで基本タイプを修復する機能ですが、上述のようにそれは過去と未来の双方へ進むことを意味します。

つまり調律機能と螺旋的発展の法則は大筋では同じことを言っており、それが調律機能の根拠となるのです。

矢印考察の予定

  1. シンボル図全体を眺めて感じたこと・・・
  2. 矢印の本質と「型」を持つことの意味・・・
  3. 篠田が考える矢印解釈
    1. 大前提「性格タイプは基本タイプを中心にして矢印双方向のタイプに頻繁に行き来する」・・・
    2. 矢印が生まれた理由=「環境変化」と「型崩れ」・・・
    3. 機能その1_環境変化(外的変化)に対する「適応」(前編)・・・
      型と柔軟性のいいとこ取り(中編)・・・
      なんでも1人でする必要はない(後編)・・・
    4. 機能その2_型崩れ(内的変化)に対する「調律」(前編)2つの矢印タイプは基本タイプの土台・・・
      根拠はエニア=弁証法(中編)・・・
      弁証法の螺旋的発展の法則=原点回帰と未来進化は同時に起こる(後編)・・・
    5. なぜ正方向に進みやすいのか・意識的な移行は可能なのか・移行先になりきれるか・・・今回はココ
  4. 独自解釈に至った理由ーすべては精神力の存在ー(仮)
  5. 他の矢印解釈に対する意見(仮)
  6. リバエニは何を目指すのか?誰の為のエニアなのか?(仮)

さて、今回は矢印の適応機能や調律機能以外の3つの論点についてお伝えします。

  • なぜ矢印は正方向に進みやすいのか?
  • 意識的なタイプ移行は可能なのか?
  • どこまで移行先タイプになりきれるか?

補足的ではありますが、大事な論点ばかりなのでしっかり着いて来てください。

温故知新=時間旅行はいつも過去から

Future, Car

まずは最初の論点、「なぜ矢印は正方向に進みやすいのか?」についてです。

矢印考察の最初の方で矢印両方向のうち、正方向に進みやすいということを何度かお伝えしました。

これは、どのエニア会派でも採用する通説ですが、わたしもその立場を採っています。

某会派はその理由につき、

矢印正方向は堕落の方向だ。そもそも人は堕落しやすい存在だから、そちらに進むことが多いのだ。

ってな感じで、まぁなんというか、とんがった解釈をしていますが、私は全く賛同できません。

賛同できない理由ですが、私は「とある言葉」を信じているからです。

それは前回、前々回でご紹介した田坂広志先生の「使える弁証法」にも載っている、弁証法を提言したヘーゲル氏の言葉です。

存在するものは、合理的である
このヘーゲルの言葉は、何を語っているのか。
現実に世の中に存在したものには、必ず「意味」がある。
そのことを語っているのです。
すなわち、この世の中に存在したもので、まったく「意味」が無いにもかかわらず、存在しているものはないのです。

存在するもの、もしくは存在したものは合理的で意味がある。

多くの場合、過去に存在した価値感は、現在における重要性が低くなっただけで、その本質的価値は損なわれていないのです。

この前提があればこそ、一旦は忘れ去られた過去の価値が新たな形で復活し脚光を浴びる、という「螺旋的発展の法則」が成り立つのです。

これを矢印に当てはめると、過去である矢印正方向に進みやすいことには、合理的な理由がある、ってことになります。

で、その理由ですが2つあって、1つ目は過去とは振り返りやすい存在だからです。

言うまでもなく、過去とは既に起こった出来事なので、記憶や記録に残りやすく振り返りやすい。

そして前回お伝えしたとおり、「過去=矢印正方向」でしたね。だから矢印は基本的に正方向に進みやすいのです。

時間旅行をテーマにした物語は沢山あると思いますが、過去の時代の描写は作者の記憶だけでなく史実や歴史を元にしているから正確ですよね。

逆に未来の時代の描写は、後から見ると面白いことに殆どが外れているワケです。

宙を浮く車とか自我を持った喋るネコ型ロボットはいつまでたっても作られないし、世界は中々核兵器で滅ばない(苦笑)。

内容の信ぴょう性はさておき、前世のことを語る人は結構いますが、来世のことを語る人って聞いたことがないんですよね。

これも前世は既に体験してきたことであり、来世的な特性の兆しは現世で垣間見えるものの、まだ表面化していない、という違いがあるからなのでしょう。

もともと性格タイプにしろ、矢印にしろ、シビアな生存競争を生き抜く為に生まれた機能です。

だから振り返りやすい過去と予見しにくい未来の双方に進む必要があるなら、本能はまずは過去に進もうとします。

それは常に生存の可能性を追求してきた本能の判断として、とても自然なことなんです。

矢印が正方向に進みやすい2つ目の理由は「温故知新」という故事の存在です。

故事ことわざ辞典さんから引用。

温故知新
【読み】 おんこちしん
【意味】 温故知新とは、昔のことをよく学び、そこから新しい知識や道理を得ること。また、過去の事柄を研究して、現在の事態に対処すること

ここ数回の矢印考察をしっかり読んでいただいたなら、もう予想はつくと思いますが、この温故知新という言葉と弁証法の螺旋的発展の法則って実は同じことを言っているんです。

つまり、

  • エニアグラムの矢印=弁証法の螺旋的発展の法則(哲学)=温故知新(故事)

という関係が成り立つのです。

温故知新という故事は紀元前に中国の孔子さんという方が語り、一方で弁証法は古代ギリシャに端を発し、エニアグラムも恐らくは紀元前から続く西洋と東洋の秘教思想・神秘主義から生まれているワケです。

孔子さん

孔子さん

前々回、古今東西に通用してきた叡智は少ないとお伝えしましたが、少なくとも2000年以上各地で受け継がれてきた叡智が同じことを意味するのはとても興味深いですよね。

それはさておき、大事なのは温故知新の意味と文字の順番ですが、一目瞭然ですね。

新しい知識や道理を得るためには、まずは「故(ふる)きを温(たず)ねよ」、つまり「過去に目を向けよ」と言っているワケです。

もちろん、新しいこと、未来のことを先取りしたり考えることは大事なんですよ?

ですが「進化の為には一見逆に思えるかもしれないが、まずは過去へ回帰せよ」という順番の逆転、「急がば回れ」的なことを説くところにこの故事の本質的な価値があるのです。

この教えは千年単位で長らく伝えられてきたのですから、真実の響きがありますよね。

以上、矢印が正方向に進みやすい2つの理由をまとめると、

  1. 過去は既に起こったことだから振り返りやすい
  2. 温故知新という故事の意味と文字の並び

こんな感じです。

耳にタコができるまで言い続けますが、矢印とは生存を助ける為の機能であり、矢印への移行は無意識や本能によって制御されるのです。

我々人間が意識的に千年単位で語り継いできた智慧を、ヒトという種族が生まれてから何万年もの間、生存のプロフェッショナルとして活躍してきた無意識や本能が知らないハズはありません。

だから矢印正方向のタイプに進みやすいことは、生存の可能性を高めるという意味で正しく、意味のあることなのです。

善か悪かという2元論的なモノの見方は好きではありませんが、そういった観点に沿って言えば、矢印正方向へ進むことは決して悪ではなく、両方向とも必要であり善なのです。

タイプ移行は無意識的だが、引き金となる環境変化は意図できる

Plan

たった今、「矢印への移行は無意識や本能によって制御される」と書きましたが、私は矢印考察を始めて以来、一貫してそう主張し続けてきました。

もちろん矢印タイプへの移行だけでなく、ウィングタイプへの移行や基本タイプへの「帰還」も同様だと考えています。

そして「精神の安定度や健全度によって進む矢印の方向が決まっている」とするのが主流的なエニア会派の矢印解釈でした。

これは「精神の変化を引き金にして自動的にタイプが選択され、移行する」という意味において、タイプ移行は意思とは関係なく行われる「反射」的な行為だと言っているワケです。

私は精神云々は直接移行に関係ないと考えていますが、「タイプ移行は無意識的な反射だ」という点は主流派と同じ考え方です。

で、ここで一つ疑問が湧きます。

それは「タイプ移行は意識的意図的にできないの?」ってことです。

答えは狭い意味ではNOです。

先ほど出てきた哲学者ヘーゲルの「存在するものは合理的である」というのが正しければ、タイプ移行が無意識で為されるのには理由があります。

これは矢印考察の第13回でお伝えしたことと同じような考え方をすればいいと思います。

私は型を持つことで次の3つのメリットが生まれると考えます。
 
1. 認知を省くことで素早く行動できる
2. 一つの技に特化することで効率と効果が増す
3. 脳で消費されるエネルギーを節約することでスタミナを温存し、判断ミスを避けられる

タイプ移行とは適応であれ調律であれ、生存の可能性を高めるために生まれたモノです。

ですが、目まぐるしく環境が変化した場合、その度に認知的な判断をしているようでは、とにかく遅くて、効率と効果も燃費も悪く、判断ミスをしがちになるんですね。

それでは生存の可能性が低くなり、タイプ移行の意味がなくなるのです。

尚、ここでいう判断ミスとは環境に相応しくない移行先タイプの選択を意味します。

だからそういったことは一々意識的に判断せず、本能や無意識に任せてしまったほうがよい、というのがヒトという種族が下した「進化の答え」なんです。

まとめると、矢印やウィングという近接タイプへのタイプ移行は、

  • 環境という外的な変化や、基本タイプの型崩れという内的な変化を引き金にして
  • 無意識的に移行先のタイプが選択され、動き
  • 意識的には動かせない

ってことになります。

しかし、まったくタイプ移行の制御が不可能かというと、そうではありません。

特に適応機能については、環境という外的な変化をキャッチすれば自動的にタイプ移行するのですから、そういう環境に自分を置いてしまえばいいってことになります。

ここでいう環境とは生活環境、ザックリ言えば、空間や帰属先、自分の立場や付き合う人を意味します。

それらを意図的に変化させればそれが引き金になって、基本タイプへの帰還を含むタイプ移行は自動的に行われるのです。

(多くの場合、意図的な環境の変化は葛藤や苦痛、軋轢を生みがちですが、それは別の話しです)

つまりタイプ移行は無意識的ですが、意図的な環境変化によってタイプ移行を促すことは可能なのです。

移行先のタイプにはなりきれない

仮面

今回最後の論点、「どこまで移行先タイプになりきれるか?」です。

もうこれは適応機能のところで殆どお伝えしているので、さっさと結論。

基本的には「100%のタイプ移行はない」ってことになります。

このあたりは矢印考察第15回で「基本タイプ=メインシステム」「矢印タイプ=補助システム」としてお伝えしましたね。

矢印とは、最初に選んだ一つの「型」でやりくりできない状況や、その「型」が型崩れになってしまった時に作動する補助システムなワケです。

補助システムである矢印の出番は基本タイプよりは少ないですし、タイプ特性の強化は場数に左右されるので、矢印タイプの特性は基本タイプのそれより弱いのが当たり前なんです。

どんなシステムでも、労力や時間やコストなどの資源は、なるべくメインシステムに割り振るべきであり、補助システムの能力は悪く言えばその場しのぎができるレベル、付け焼き刃レベルに抑えられていることが多いのです。

その程度の能力しか無くても、ゼロよりはよっぽどマシですし、いずれはメインシステムである基本タイプに帰還するのですから、必要にして充分だからです。

このあたりは車のスペアタイヤで例えました。

スペアタイヤはガソリンスタンドやディーラーに車を移動する距離、長くても数十kmだけ保てばいいのです。

但し、時には殆ど100%移行先のタイプになりきっているように見えることもあります。

先ほど、環境の変化は意図的に起こせると書きましたが、多くの場合、変化とは勝手に起こるものであって、その強弱や長さも基本的には風まかせ。

自分のタイプに都合が良い変化なんてものは、そうそう起きるモノではありません。

だから環境の変化が強かったり長引いたりした場合、移行先タイプの特性をフル稼働する必要が出てくるのです。

で、その点だけをフォーカスすれば100%に見えなくはない、ということですね。

しかし、そういう状況に陥っている人の表情を見たり、ある程度のスパンで眺めると、「ああ、やっぱりこの人は生粋のタイプじゃないな」って判断することができます。

その本職(?)のタイプさんと比較すると分かりやすいのですが、移行先のタイプをフル可動している人はどこか不自然であり、無理をしていることが見え見えだったりするからです。

これは例えるなら、もともと30~40km/hも出せればいい原付バイクが高速道路に乗り、70とか80km/hで何時間もぶっ通しで走るのと同じことです。(法律的には絶対NGです)

まぁ、実際はこんなことをしたらエンジンがオーバーヒートしたり、すぐにガス欠になって止まってしまうのですが、それを見た人は「あいつ無茶してんな」って誰でも思いますよね。

逆に本職のタイプさんは、例えるなら3000CC以上の大排気量セダン車みたいなもので、80km/hであればエンジンも走りも余裕でとても快適なんです。(実際は逆にゆっくり過ぎてストレスがたまりますが_苦笑)

そういう本職が見せる余裕までも演じきることができるなら、そりゃ100%矢印タイプに移行していると言えますが、現実的には無理でしょうね。

そして本職とニワカの違いがあればこそ、揺れ動く性格タイプの中から基本タイプを判別することが可能になるのです。

というワケで、移行先のタイプには100%なりきれないし、ならざるを得ない場合でも、いずれは無理がたたる、ということをお伝えしました。


今回はここまで。

まとめると、

  • 矢印正方向(過去)に進みやすい理由=過去は振り返りやすい+温故知新の意味と文字の順番
  • タイプの移行と帰還は無意識的だが、引き金となる環境変化は意図できる
  • 基本的には移行先のタイプに100%なりきることは無いが、状況次第では100%に見えることもある(その場合相当無理をしている)

こんな感じですね。

さて、次回は今回最後の論点とも関係しますが、篠田的矢印解釈の根幹である「精神力」についてのお話です。

既にそれらしきことは考察を通して何度か触れてはきましたが、この精神力にまつわることが矢印で一番私が言いたいことでして、独自解釈の全てはここに通じます。

次回をお楽しみに。

それではまた。

追伸

矢印考察を始めてからもう20回になってしまいました。(序章を入れると21回ですが_汗)

エニアグラムにおける矢印とは、それを語る人がエニアグラムをどう捉えているのかが一番分かるところであり、その人のエニアグラム論の根幹だったりします。

それゆえタイプ考察どころか、タイプ診断もオフライン活動も中断して、かなり時間をかけて考察してきました。

そこが固まらないまま他の方とエニアグラムを語りあうことに、物凄く違和感や限界を感じていたからです。(特にタイプ2の場合は基本的には相手に話を合わそうとしますので)

自分が思い描くエニア像が主流派と噛み合わないなら、「リバース(逆転・再生)エニア」というタイトルだけでなく、ちゃんと中身も別物として区別してもらえるように再定義しなきゃってことです。

異論や異説だらけなので、私としてはかなり慎重というか、その都度根拠を提示しながら進めてきたつもりです。

まぁ、考察を通していろんな発見やアイデアが思い浮かんだことは純粋に良かったと思います。

ですが、やっぱりアタマばっかり使ってアレコレ考えたり生み出すのって、自分らしくないというか面倒臭いというか、疲れますね(苦笑)。

実は「いや、篠田さん、ウチの会派はあなたと同じ解釈だから、ウチに来なさいよ」ってお声が掛かることを待ってますもん(爆)。

3時間机に向かうぐらいなら、6時間ぶっとおしで喋りまくった方がよっぽど自分らしいですし(笑)。

それでもようやく矢印考察も先が見えてきて、あと4回くらいで終われそうです。

もう少しお付き合いくださいませませ。

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