リバースエニアグラム

エニアグラム矢印考察第25回「既存エニアの価値感とリバエニの価値感の違い」

エニアグラム矢印考察第25回「既存エニアの価値感とリバエニの価値感の違い」

リバエニの篠田工治です。

今回はエニアグラムの矢印考察第25回目です。

矢印考察一覧

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前回は、既存エニアの矢印解釈に違和感や不満を覚えたことが矢印考察を始めたキッカケだったこと。

そしてリバエニの価値感を伝えたい人は「自分らしく生きておらず、精神力が消耗している人」であること。

リバエニが本当に伝えたい価値感は「生の充実の為に餅は餅屋な生き方を目指そう!」であることをお伝えしました。

エニアグラム矢印考察第24回「リバエニは何を目指すのか?誰の為のエニアなのか?」エニアグラム矢印考察第24回「リバエニは何を目指すのか?誰の為のエニアなのか?」

矢印考察の予定

  1. シンボル図全体を眺めて感じたこと・・・
  2. 矢印の本質と「型」を持つことの意味・・・
  3. 篠田が考える矢印解釈
    1. 大前提「性格タイプは基本タイプを中心にして矢印双方向のタイプに頻繁に行き来する」・・・
    2. 矢印が生まれた理由=「環境変化」と「型崩れ」・・・
    3. 機能その1_環境変化(外的変化)に対する「適応」(前編)・・・
      型と柔軟性のいいとこ取り(中編)・・・
      なんでも1人でする必要はない(後編)・・・
    4. 機能その2_型崩れ(内的変化)に対する「調律」(前編)2つの矢印タイプは基本タイプの土台・・・
      根拠はエニア=弁証法(中編)・・・
      弁証法の螺旋的発展の法則=原点回帰と未来進化は同時に起こる(後編)・・・
    5. なぜ正方向に進みやすいのか・意識的な移行は可能なのか・移行先になりきれるか・・・
  4. 独自解釈の理由_基本タイプ第一主義とRPGから学ぶ4つの精神力理論・・・
  5. 基本タイプが精神力回復になる理由、積極的近接タイプ移行主義、全タイプに進む意味・・・
  6. 独自解釈のキッカケと公開の理由・・・
  7. リバエニは何を目指すのか?誰の為のエニアなのか?・・・
  8. 既存エニアの価値感とリバエニの価値感の違い・・・今回はココ
  9. リバエニの価値感をイメージしたら何になるのか?(仮)

予告では今回は「エニアグラムの他会派や指導者が提唱する矢印解釈に対する意見」とお伝えしましたが、それよりもっと大きなくくり、彼らが抱えている価値感とリバエニの価値感との違いについてまとめていこうと思います。

あと、文量が凄いことになったので、今回が最終回ではなくなりました(汗)。

なぜそこまで価値感の違いにコダワルの?

Miss, Match

弁証法の考えを突き詰めれば、「存在するものは合理的で意味がある」になると、お伝えしてきました。

だから、いくら価値感が違うとはいえ、他の表現者の作品や価値感に対して批判的な意見を書くのは、あまり褒められた行為ではないのでしょう。

エニア=アートであるなら、その本質は多様性でもあるので、尚の事批判には意味が無いと言えます。

表現者と批評家は別の属性だからです。

しかし、それ以上に価値感の違いを明確に示すことが私は重要だと考えています。

その理由ですが、価値感のミスマッチが起こると、大抵は双方が嫌な想いをしますし、時間・お金・労力なども無駄にしてしまうからです。

(男女付き合いや職場選びもそうですよね_汗)

どこまでいっても人は受け取りたい言葉や価値感しか受け取れないのです。

実は私自身、価値感のミスマッチが耐えられず、エニアのセミナーやワークの参加をやめたり、主催していた勉強会やセミナーをこちらから一方的に中断した苦い経験、トラウマがあります。

まぁ、今となってはそれも芸の肥やし(?)と言えるのかもしれないですが、できればそういう事態は避けたかったですし、正直に言えば未だに悔やんでおります。

そういうミスマッチを避けるには、最初のうちから価値感を、しかも違いにフォーカスして提示していくしか方法はないし、その方が親切だと思うんです。

例え他会派に対して批判的な意見になったとしても、結果的にミスマッチで嫌な想いをする人が減るなら、その方が精神安定上好ましいとも。

もっと言ってしまえば、矢印考察が終わって一段落したら、一緒にリバエニを盛り立てていく仲間を募る予定です。(中身は今のところ何も考えていませんが)

その際、私の考え方全てに賛同して欲しい、とまではもちろん言いませんが、できるだけ同じ価値感を共有できる人と仲間になりたい、と思うのが人情って奴です(笑)。

そのためにも価値感の違いをここで明確にしておきたいのです。

既存エニアの価値感とリバエニの価値感の違い

Genre

では、既存エニアが抱える価値感とリバエニが抱える価値感は何が違うのか。

前回、エニアを採用してきた業界やジャンルの一覧を載せました。

  • 精神修養系
    • 宗教(主にキリスト教)
    • 神秘・秘教
    • スピリチュアル・癒し
  • 研究・分析系
    • 精神医学
    • 心理学
    • 性格学
  • 実利・現場系
    • マネジメント
    • リーダー研修
    • コーチング
    • コミュニケーション向上(男女・親子・上司部下)
    • 適職・天職
  • 占い・娯楽系
    • 運命
    • 相性

一つ一つやっている時間はないので、

  • 精神修養系
  • 研究・分析系
  • 実利・現場系
  • 占い・娯楽系

という4つの大きなジャンルを使って比較していきたいと思います。

あと、具体的な会派名や指導者名はなるべく書かないことにします。

同じ会派の中でも、個々のエニア解釈や価値感は少しずつ異なるでしょうし、細かい違いより大きな違いにスポットを当てるのが今回の主旨に沿うからです。

また、1つの会派や1人の指導者において、帰属するジャンルが複数に跨っていることが多い、という実情もあります。

精神修養系エニアとの違い

Spiritual

  • 精神修養系
    • 宗教(主にキリスト教)
    • 神秘・秘教
    • スピリチュアル・癒し

もともとエニアグラムはここから出発しているので、矢印解釈を含むエニアグラム全般の通説は、これらジャンルの価値感が色濃く出ていると言えます。

会派や指導者としての規模も、おそらくはこのジャンルが一番大きいと言っていいでしょう。

ではリバエニと明確に異なる価値感ですが、それは次の6つです。

  1. 善悪の二元論的発想
  2. 人間はそのままでは不完全な存在
  3. 精神性の高みや聖、超越(人としての限界を超える)を目指す
  4. 平穏・平静・平安を求める
  5. 自我、執着の放棄
  6. 自前主義

善悪の二元論的発想というのは、ようするに善か悪かのどちらかで判断する考え方です。

誤解を恐れずに言えば、精神修養系に共通するのは「大いなるモノ(一なるもの)」の前提と肯定です。

そういう存在の前では、人間とは不完全でちっぽけな存在。ほっとくとスグに堕落してしまう。

だから大いなるモノが決めた教えは絶対的に正しく守らなくてはいけないし、超越して大いなるモノに少しでも近づきたいし、禁欲や修練をすべきだし、頭を垂れなくてはならない。

さすれば心の穏やかさや落ち着き、安心感が得られる。

多かれ少なかれそういう価値感が精神修養系ジャンルのベースになっていると私は感じます。

この6つの価値感とリバエニの価値感を比較すると

精神修養系エニア リバースエニア
善悪の二元論的発想 弁証法(3つの力の均衡)的発想
人間はそのままでは不完全な存在 人間はあるがままが素晴らしい
精神性の高みや聖、超越を目指す 精神力の回復・感情や気持ちの尊重
平穏・平静・平安を求める 基本タイプを主戦略として生存競争に立ち向かう
自我、執着の放棄 欲を満たす
自前主義 相互扶助・役割分担

こんな感じで真逆の関係であることが分かります。

ここで重要なのは実は2番目の部分で、「なにもしない素の状態の人間」をどう捉えていくかが大きな違いを生み出していると考えます。

精神修養系ジャンルは、そのままの自分に対して満足できない価値感、良く言えば高い理想を常に掲げていると思うのです。

だからこそ、基本タイプに居ることは普通ではあっても、素晴らしいことではないのです。

精神修養系においては、クラウディオナランホ氏の著書に見られる「人は堕落しやすきモノ」という主張が受け入れられればこそ、矢印に進みやすい方向があるならそれは堕落の方向となり、逆方向は聖なる方向になります。

あるがままに不満を持ち、高い理想を持つことは、必然的に善か悪かという二元論的な発想になりやすいのです。

不等号で表せば「矢印逆方向>基本タイプ>矢印正方向」になります。

これに対し、リバエニは本来の自分、あるがままの自分が素晴らしいという価値感を持っています。

私は多くの人が自分に嘘をついていて、他者の価値感の中で窮屈に生きていると感じます。

大袈裟な表現を使うなら洗脳されてしまっていると言ってもいいでしょう。

社会性を持つ種族であれば、ある程度はそういう状況が必要なのは分かります。

しかし、それによって個々の人々があまりにも辛い思いをしたり、心身を病んでしまうのは明らかにおかしいと思っています。

だからなんとかして自分自身を解放し、本来の状態と精神力を取り戻そうというのが、

自分らしく生きておらず、精神力が消耗している人へ、生の充実の為に餅は餅屋な生き方を目指そう!

というリバエニの価値感なのです。

そんなことから、リバエニでは、ありのままの自分である基本タイプに居ることを最上と考えます。

では、矢印タイプへの移行は双方向とも悪なのかというと、そうではありません。

私は、本来神秘主義が持っていたはずの「3の法則=正三角形=3つの力の均衡=弁証法」という発想が真理だと思っているし、もともとそういう考え方が好きなんです。

なので「基本タイプ、矢印正方向タイプ、矢印逆方向タイプ」を一つの三角形として捉え、矢印双方向タイプへの移行は必要不可欠な「機能」であること、そして頻繁な移行がむしろ良い傾向であることを見出しました。

適応機能であれば、環境の変化に合わせて双方向とも進むべきだし、調律(修復)機能であれば、温故知新の例え通り、まずは過去である矢印正方向に進み、その後で未来である矢印逆方向に進むことが正しいのです。

だから「基本タイプ>矢印正方向タイプ≧矢印逆方向タイプ」という優先順位の違いはあるにせよ、3つのタイプには意味があるのです。

以上が精神修養系エニアとリバエニの一番大きな違いになります。

で、精神修養系エニアに対する意見ですが、価値感が違い過ぎるので根本部分については触れません。

ただ、少しでもいいから精神力の存在とその有限性を認め、自前主義も多少緩和したら良いのでは?と思ってしまいます。

考察の精神力に関する部分でお伝えしたように、人の表情とか雰囲気を観察した結果、やはりタイプ移行には精神力というコストがかかっていると感じます。

どの移行先タイプでもそこに留まると精神力が枯渇して、いずれ心身を病む可能性が高いのですから、基本タイプの欲が満たせる環境をしっかり作ることが先決だと思うのです。

逆に言えばそういう環境を知らないうちに確保できている人こそが、高みも目指せるのではないでしょうか。

あと、自前主義はエニアに限らず、時間がかかる割には効果も低いと相場が決まっています。

乱暴ではありますが、そもそも自己分析が不得手な人は少なくないのですから、なんでも得意な人に任せてしまうのも手だと思います。

これも餅は餅屋の発想ですね。もちろん、周囲に人がいなければ自分でやるしか無いのですが。

全てのタイプを身につけるというのも自前主義、あと超越指向の表れだと思いますが、やっぱりオススメできません。

剣も攻撃魔法も回復魔法もなんでもござれのスーパーキャラクターは、ゲームの中だから存在するワケでして、普通の人はそんな器用なことはできっこないからです。

イエズス会系のエニア会派が出したエニア書籍では、9つのタイプを全て網羅した存在として、イエス・キリストさんがそうだと提言しています。

まぁ、イエスさんは唯一神のご子息であらせられるからそんな芸当が可能なワケでして、我々世俗の者にとっては「何のために?」「そりゃ無理だ」って話ですよね。

僕ら弱者が取りうる人生戦略は、戦略論的には基本タイプを使った一点集中型しか有り得ないのです。

その反面、世俗から離れた聖人とか偉人とか賢者を目指すのであれば、嫌味ではなく全タイプの完全習得を是非頑張っていただきたいと思っています。

そういう定めや業を背負っている人は、極わずかでしょうがいつの世にも一定数存在してきたでしょうし、そういう人によって救われる人は少なくないからです。

研究・分析系エニアとの違い

Research

  • 研究・分析系
    • 精神医学
    • 心理学
    • 性格学

もともとこういう会派があるというよりも、神秘主義的エニアから性格分類ツールとしてのエニアに移行するにあたって、こういうジャンルの人々が沢山関わってきた、というのが正しい見方です。

それは性格分類としてのエニアを提唱したオスカーイチャーゾ氏における各タイプの解説が、物凄くコンパクトであったことなどから推察できます。

それ以後、既存の精神医学や心理学、性格分類学との比較やすり合わせによって、エニアの各性格タイプの特徴は形作られ、洗練されていったのでしょう。

で、研究・分析系とリバエニの価値感の違いについて、採り上げるべき点は2つしかなく、しかも矢印にあんまり関係ありません(苦笑)。

研究・分析系エニア リバースエニア
俯瞰視点の分析主義 一人称視点の現場活用主義
切羽詰まった問題を抱えていない人が対象 切羽詰まった問題を抱えている人が対象

矢印考察の第18回では、矢印解釈は俯瞰視点ではなく、一人称視点ですべきだ、とお伝えしました。

俯瞰視点と一人称視点

分析をするからには、モノゴトの渦中から離れて、高い視点で観察をする必要があります。

これはこれで必要なことなのですが、行き過ぎると単なる知的欲求を満たすだけというか、ボードゲームやシミュレーションゲームのプレイヤーに留まり続ける弊害があると思っています。

自分に素養が無い分、研究・分析が得意な方の恩恵に感謝はしつつも、知識は一人称視点という実際の生活現場で活用されて、初めて意味を成すと思っています。

又、現場でしか見えてこない真実って奴もあります。

千差万別的な人の性格をなんとか9つにしてくれるのがエニアでもあるので、分析に偏れば細分化という罠に陥って、いつまでたっても活用に漕ぎ着けないと思うんですよね。

餅は餅屋を目指すとは、実生活において早く自分の居場所と精神力の確保をしようよ、という意味でもあります。

そのためには知的欲求や細分化も結構ですが、実際に行動とか環境を変化させることも大事だと思っています。

まぁ、抱えている問題がそんなに切羽詰まったモノでなければ、知的欲求の追求は楽しいんですけどね。

知的欲求の追求自体に価値を置いているのであれば、存分にそうした方がいいでしょうし。

そのあたりが両者の違いと言っていいでしょう。

実利・現場系エニアとの違い

Coaching

  • 実利・現場系
    • マネジメント
    • リーダー研修
    • コーチング
    • コミュニケーション向上(男女・親子・上司部下)
    • 適職・天職

エニアグラムの知識体系をコンパクトにして生活現場に活用し、実際の利益へ繋げることを主眼としたジャンルですね。

このポジションを採る人は、実際には少なく無いと思います。

上述の研究・分析系エニアとは真逆の関係にあると言ってもいいでしょう。

実生活へのエニア活用は私の望む所なので、リバエニを既存の4つのジャンルに含めるなら、このジャンルに含まれる気がします。

「気がします」というのは、次の点において明らかに価値感が異なるからです。

実利・現場系エニア リバースエニア
タイプ移行はそんなに起こらない タイプ移行は頻発する
タイプ判定は簡単に早くできる タイプ判定は難しく時間がかかる
目標の達成にフォーカス 目標の向き不向き(本心)にフォーカス
他者との良好な関係性を重視 自分らしさと相手の為に起こる軋轢は仕方ない

実利・現場系エニアは、別の言い方をすれば、メソッドとしてのエニア活用です。

メソッドとは方法や方式って意味ですが、モノゴトの単純化、定型化、効率化と言ってもいいでしょう。

メソッドの活用は、素早さと実現性を飛躍的に高めるので、目標の達成にとって物凄く有用な価値感ではあります。

しかしながら、ここで3つの問題が考えられます。

1点目はタイプ移行の存在です。

ハッキリ言ってしまえば、エニアグラムを何らかのメソッドに使う為には、性格タイプが動いてもらっては困るのです。

基本タイプから他のタイプに動けば動くだけ、それだけメソッド(マニュアル)が、一時的であるにせよ、通用しなくなるからです。

以前の記事で採り上げた、人材採用や婚活という単発短時間のマッチングにエニアが使いにくい理由は、ココにあります。

だから実利・現場系のエニアにおいては、タイプ移行という論点にあまり触れない傾向があります。

例えばエリザベス・ウェイゲル氏、イングリッド・スタブ氏の共著「9つの性格でわかるあなたの天職」という書籍では、ウィングについてはわずかにその存在が示されるものの、矢印についての記述はザッと眺めた限りでは見当たりません。

2点目の問題は、そうやって頻繁なタイプ移行の存在を軽視すればするほど、正確なタイプ診断から遠ざかるということです。

これまた誤解を恐れずに言えば、実利・現場系のエニアは性格タイプの質問表、チェック表の結果を信頼し過ぎるきらいがあります。

でも他者のタイプ診断をマンツーマン方式でやってみると分かると思うのですが、タイプは頻繁に移行と帰還を繰り返しているので、揺れ動きの中から基本タイプという中心点を探る必要があります。

だから時間と手間をかけないと診断精度は下がるんです。

これが精神修養系エニアであれば、タイプが確定するまでの道程は文字通り内面の修養であり、修養にこそ意味と価値がある、と考えるでしょうから問題になりにくいと言えます。

しかし実利・現場系のエニアでは、正確なタイプ判定を前提として各タイプに合わせたメソッドを使うハズです。

だからタイプが間違っていては目標の達成はむしろ遠のいてしまうのです。

3つ目の問題は目標の「達成」にフォーカスするあまり、そもそも目標の内容が基本タイプに適しているかどうかの判断が軽視されることです。

以前「ジョハリの窓の太い桟」という記事を書きました。

人は自分のことも他者のことも誤解することが多い、ってのが記事の主旨でした。

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その記事を書いた時は勇気が無くて「誤解」というオブラートで包んだ言葉を使いましたが、本当は「人は自分に対して嘘をつきやすい」と言いたかったのです。

これと同じで、あまりにも目標の達成にフォーカスしすぎると、本当は向いていないとか、やりたくないことを目標にする、という自己欺瞞の罠に陥りやすいのです。

自己欺瞞とは言い方を換えれば自分の価値感より他者の価値感を優先するってことです。

先ほど精神修養系エニアの章では、そういう状態を「他者の価値感の中で窮屈に生きている」とか「洗脳されてしまっている」というキツイ表現をしましたが、それと同じことなんですね。

結局そういう状態であれば、多くの人にとっては本心的本能的なモチベーションにはならないですし、それは強制的なタイプ移行でもあるので精神力も枯渇しやすいのです。

だから目標達成への道程は長く、達成されても何故だか満たされないということになりがちです。

物語では、長年かかって苦労の末、目標を達成したけど、その目標は実は本当に望むことではなかった・・・なんてありがちな展開ですが、実際に自分や近しい人がそうなっては困りますよね。

そういう自己欺瞞ゆえの悲劇を起こさない為に、エニアを使ったほうがいいと私は思うのです。

以上3つの問題があるからこそ、リバエニを素直に実利・現場系のエニアに含めることは難しいのです。

Communication

あともう一つ大きな価値感の違いとして、人間関係に対する考え方の違いがあります。

実利・現場系エニアでは基本的には「円滑で良好な人間関係」を重視すると思います。

もちろんこれは大事な目標であり、私もエニアを導入した当初はそういう価値感が主体でした。

しかし、個人差はあるでしょうが、これも行き過ぎると自分らしさの抑圧、我慢になりがちなのです。

これは基本タイプらしくないってことですから、その状態が続けばいずれは心身を病んだり、積もり積もった感情が大爆発して、関係のない人まで巻き添えにすることも有り得ます。(実例はそりゃもう沢山あります_苦笑)

コミュニケーションを「3つの力の均衡」である弁証法の観点で眺めると、実は「円満+対抗+距離を置く」という3つの方法があることに気づきます。

もちろん誰だって円満で良好な関係性が望ましいのですが、時には反目したり怒ったり、距離を置いたり別れることが、双方にとって好ましい状況は確実にあるのです。

これまた、とあるジャンルの人から怒られそうなことを書きますが、なんでもかんでも受容ばかりがコミュニケーションのカタチではないんです。

一方の気持ちを抑圧したり犠牲にしたコミュニケーションは、長続きしないと思うんですよね。

他者の受容こそが本能的に気持ちいいという人(タイプ)であれば、むしろオススメなのですが。

まぁ私はそうじゃないので、良好な人間関係だけを目的にした取り組みは、今は全く考えていません。

実際に餅は餅屋の生き方をしようとすれば、残念ながらどこかで他者との軋轢が発生するハズです。

それでも尚、自分らしさの発揮が大事だし、より多くの人との関係においては必ず良好な関係、貢献をしているワケですから、そのあたりの軋轢は仕方ないと思っています。

以上が実利・現場系エニアとリバエニの価値感の違いでした。

こうやって書いてみて初めて気づきましたが、精神修養系エニアと同じくらい真逆の関係ですね。

辛口なことばかり書いた気もしますが、実際に質問票やって一発で正しいタイプが判明することは実は少なくありません。(それはそれである意味悩ましいですが)

正しいタイプがすぐ確定し、そして設定した目標が運良く基本タイプにマッチしていれば。

このジャンルのエニアは効率と効果の面で最強のエニアだと私は思っています。

占い・娯楽系エニアとの違い

Astrology

  • 占い・娯楽系
    • 運命
    • 相性

たとえば血液型や動物占いなどのライトな占い、どちらかと言えば娯楽や話のネタ的にエニアを扱うジャンルですね。

占い・娯楽系エニア リバースエニア
娯楽、話のネタ 自分らしい生き方をする為のツール
簡単お気楽でとっつきやすい 真剣な取り組みでとっつきにくい
タイプ判定は簡単に早くできるはず タイプ判定は難しく時間がかかる
タイプ誤認でも困らない タイプ誤認は困る
タイプ移行には触れない タイプ移行には大事な機能がある
切羽詰まった問題を抱えていない人が対象 切羽詰まった問題を抱えている人が対象

このジャンルとリバエニの違いは娯楽か、ツールかってことです。

娯楽であればこそ、簡単お気楽がいいし、その方が話のネタとしても面白くSNSで盛り上がりやすい。

他の軽い占いのように、タイプは簡単に決まるハズだ。

もしその結果にしっくりこなくても、これまた軽い占いのように、「ふーん」で終わり、有名人や芸能人のタイプ談義に花が咲く。

タイプが動く?なにそれ?

こういったお手軽感が、占い・娯楽系エニアの価値感であり真骨頂と言っていいでしょう。

実際多くの人が最初はこういうスタンスでエニアに触れるでしょうから、とっかかりやキッカケとして、ある意味物凄く大事なジャンルだと言えます。

通過点と言ってもいいでしょう。

しかし、エニアの世界にどっぷりとハマってしまった身としては、分類の精度といい、タイプ移行の法則といい、感心するより他はないツールだと思うんですよね。

そして、正しくタイプが判明した人の多くが、これまでの人生に納得し、生きる意義を見出せる稀有なツールでもあるのです。

それは生きていく上で避けられない悩みが深ければ深いほど、その有用性は増すのです。

だからそんな人ほどさっさと真剣に取り組んだら?ってのがこのジャンルの人に言いたいことであり、私自身もそういう人を相手にしたいという願望があります。

まぁ、リバエニも本当はもっとこのジャンル側に振れた方がいいのだろうなぁ、とは思います。

ですが、そういうのって、タイプ2というか、オカン属性がやることじゃないと思うんですよね。

必ずどこかで上から目線、親目線というのが出てきて、それまでの楽しい雰囲気を壊してしまうと思うので。

やっぱりそういうのが得意な人にやっていただければと思います。


 

随分長くなりましたが、以上で既存エニアとリバエニの価値感の違いのまとめを終わります。

どこかで書いたと思うのですが、リバースエニアグラムという名称は、人生を「逆転(reverse)」させ、「再生(rebirth)=自分らしさの回復」を目指す、という意味でつけました。

ですが「逆転(reverse)」には、「既存エニアとの価値感が逆」という意味も含んでいることがこれでお分かりいただけたかと思います。

最後に、やはり私はエニアというよりは弁証法の信奉者なので、「存在するものは全て合理的で意味がある」というスタンスだけはなんとか守ろうと思っています。

実際これまでに出てきた矢印解釈は完全なオリジナルではなく、既存エニアの解釈で価値感が同じ部分は採り入れてきたつもりです。

それでも、精神力や弁証法に焦点を合わせたエニア解釈はこれまでになく、多くの論点について既存エニアと逆のポジションを採っていることは間違いありません。

さて、次回ですが今度こそ絶対に最終回です。(つか疲れたので少し休みたい)

これまでの考察をまとめることはしませんが、リバエニの価値感をイメージしたら何になるのか?という話と、考察を終えた所感などについて書こうと思います。

それではまた。

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