リバースエニアグラム

T1考察第3回「タイプ1が取り込んだ教えの正体」

エニアグラムの案内人、篠田工治です。
 

えっと、すいません。
 

例によって、少し間が空いてしまいました(汗)。
 

twitterでも少し書いたことですが、
今回の記事を一旦5000文字くらい書き上げたのですが、
何か腑に落ちなくて。
 

公開をためらっていたんです。
 

その理由を探るべく、
仕方なく(?)手持ちのエニアグラム書籍をパラパラ眺めていたら、
分厚い本の中に、その答えが書かれていました。
 

結局、私の認識が完全に間違っていたのですが、
その内容を公開せずに済んでホッとしました。
 

そこで思ったのは、
心に浮かんだ違和感というヤツは
どんなに小さなものであったとしても
見過ごしてはダメ、ということです。
 

勘違いしていた部分は、今回の記事というか、
タイプ1考察における一番の核となる部分です。
 

でも、日本で刊行されているエニアグラム書籍には
なぜかその部分が、たった一冊を除いて記述されていないのです(汗)。
 

実際のところ、今回は(今回も?)
身近なタイプ1とのリアルなやりとりのおかげで
助けられました。
 

そして違和感というヤツは
ちゃんと言語化されていなくても、
いつも危険信号を出してくれているのだなと実感しました。
 

それと同時に論理的に上手く説明できないときは、
論立て自体に無理がある場合が殆どだと実感しました。
 

とどのつまり「常に精進すべし」ということですね。
 

「本を読むな(リアルな人間関係で感じたことを信じなさい)」
「あなたのエニアグラムをやりなさい」

と教えてくれた心の師匠に感謝します。
 

さて、シンプルエニアグラム。
 

前回はタイプ1が望む理想郷、
完全な世界についての説明をしました。
 

今回は前2回のおさらいを少ししてから、
タイプ1が取り込む教えの正体と、
その意味について考えていきます。
 

それではシンプルにいきましょう。

教えに対するスタンス

第1回と第2回を通してお伝えしたかったこと。
 

それは一言でいうなら、
タイプ1が自ら抱えた「教え=ルール」を守ろうとする、
その「必死さ」です。
 

ぶっちゃけたところ、
この「必死さ」をイメージできるのなら、
「大いなるモノ=神」という定義にこだわる必要はありません。
 

ただ、タイプ1の「教え」に対する一途な執着心は、
やっぱり「神への信仰心」として解釈するのが、
一番イメージしやすいんですよね。
 

特に前回お伝えした、
「教え」に対する「畏怖心」とか「強迫観念」については、
「教え=絶対神」と解釈しないと
タイプ1の「必死さ」をなかなか理解することはできません。
 

どちらにしても「取り込んだ教え」に対する

1.殆ど盲目的に従う
2.従わないことがタイプ1にとって恐怖以外の何物でもない
3.「大いなるモノ」の厳しいまなざしに常にさらされている

という3つのスタンスは、タイプ1が持つ特徴の出発点です。
 
しっかり押さえておいてくださいね。
 

タイプ1が取り込む教えとは?

最初に結論です。
 

タイプ1が自らに取り込む「教え」は、
大まかに次の3つの欲求を満たすルールだと言えます。
 

1.正しく在りたい
2.ケチをつけられたくない
3.自立したい

言葉の説明はいらないですよね。
 

この3つの欲求のうち、
どれか一つにでも当てはまるルールであれば、
タイプ1が取り込むにふさわしいルールです。
 

なので、上記の3つの欲求さえ覚えておけばOK!
・・・と言いたいところですが、
さすがに抽象的過ぎますかねぇ(苦笑)。
 

でも一々細かいルールの解説をやるとこれまた長くなるし、
個人差が激しい部分なので深入りしたくないんですよね。
 

なので、ざっくり紹介するに留めます。
 

あ、せっかくなのでタイプ1らしく、
全部「べき・べからず」という言い回しで統一します(笑)。
 

1.まじめルール
「勤勉であるべき・努力すべき・一生懸命であるべき
 手を抜くべからず・几帳面であるべき・丁寧であるべき」
2.完成ルール
「何事もやり抜くべき・継続すべき・妥協するべからず
 辛抱強くあるべき」
3.道徳ルール
「正直であるべき・率直であるべき・誠実であるべき
 公平公正であるべき・礼儀正しくあるべき」
4.理性ルール
「秩序を保つべき・節度をわきまえるべき・禁欲的であるべき
 論理的であるべき・賢明であるべき」

 

う~ん。厳しいっすな。少なくとも私にとっては(苦笑)。
 

タイプ1は、こういった厳しい教えを自分の中に取り込み、
絶対的に守ろうとするんですね。
 

なぜ厳しい教えだけ取り込むの?

ここでやっぱり疑問がわきます。
 

「タイプ1って、なんで
 ここまで厳しい教えばかり取り込んじゃうの?」
 

第1回目では
「タイプ1はタイプ4を反面教師にした」
というお話をしました。
 

でもこれは、大いなるモノとの距離感、つまり、
「タイプ4=引き離されたので近づきたい、でも距離は埋まらない」
「タイプ1=なら、いっそのこと、自分の中に宿してしまえ」
という感覚を表現したに過ぎません。
 

「大いなるモノ=絶対神」という例え話も
今回の冒頭にお伝えしたとおり、
「取り込んだ教えを畏怖の念を持ちながら確実に守る」
ということを表現したに過ぎません。
 

いくら「絶対神=厳しくて絶対的に正しい教え」だとしても、
そのことは「タイプ1が何故その絶対神を選んだのか?」という
問いの答えにはならないんですね。
 

分かりやすくするために言葉を換えましょう。
 

「なぜ厳しい教えばかりを取り込むのか?」という質問は
実は先ほどの3つの欲求への問いかけでもあります。
 

1.正しく在りたい→「なぜ正しく在りたいのか?」
2.ケチをつけられたくない→「なぜケチをつけられたくないのか?」
3.自立したい→「なぜ自立したいのか?」

 

だから、この3つの問いに答えることができれば、
なぜタイプ1が厳しい教えばかりを取り込むのかが分かるはずです。
 

さて、その答えですが、
それはタイプ1の子供時代にヒントが隠されています。

タイプ1における父親像とは?

これからお話することは、
タイプ1の方にとっては少々辛い話かもしれません。
 

まず最初にハッキリしておきたいのは、
タイプ1にとって「大いなるモノ」のイメージは「実親」ではない、
ということです。
 

このあたり、タイプ4考察では

「大いなるモノ≧実親」

としてお伝えたしたとおり、実親の場合もあるんです。
 

でもタイプ1にとっては違うんですね。
 

では、なぜ違うと言い切れるのか?

それはタイプ1の幼少の頃の話を見聞きすると、
だいたい次のような家庭像が浮かび上がってくるからです。
 

1.厳格すぎる父親がいた
2.一貫性のない父親がいた
3.父親がそもそもいない
4.父親が健在でも殆ど家にはいなかった
5.早くから弟や妹の面倒をみていた

上記5つのキーワードは「父親」です。
 

実はタイプ1は「実の父親」とのつながりを絶たれた状態で
幼少の頃を過ごした人が多いのです。
 

上記1~5のうち、まず2~4を見てください。
 

ここでのキーワードはズバリ「自立」です。
 

例えば、
「父親の言うことがその場その場でコロコロ変わり、
ぶっちゃけアテに出来る存在ではなかった」
とか、
「そもそも父親がいない」
とか、
「長男または長女だったので、弟や妹の父親がわりを務めた」
など。
 

結局のところ人が育つのには、
 

1.規範や秩序を体現し、生きていく厳しさを教える「父親像」
2.身の回りの世話をし、安心して甘えられ、愛を与える「母親像」
 
の二つ存在が必要なのです。
 

「像」という言葉を付けたのは、
男女の役割がすり替わっている場合もあるし、
祖父母や歳の離れた兄弟が、その役割を担う場合もあるからです。
 

で、上の2~4の事例で言えば、
タイプ1にとっては、そんな父親像が身近におらず、
「父親には頼れない」という感覚を持ちながら
幼少を過ごしたのです。
 

もちろん、そう受け取ったのはタイプ1の
「勘違い・思い込み」という可能性も大いにあるのですが、
いずれにせよ、彼らはそう信じて生きてきたんですね。
 

これがタイプ1の「自立への欲求」につながります。
 

もし、「か弱い」幼少時から「自立」する必要に迫られれば、
それは一つ一つの言動に対して、
「間違えるだけの余裕がない」
ということになります。
 

動物的に考えれば、幼体時における
たった一つの間違いは「死」に直結しやすいからです。
 

それが彼らにとって正しいルールを取り込むという
行動に繋がっていくんですね。
 

そしてもう一つ、
1.の「厳格すぎる父親がいた」です。
 

この場合、
 

「父親像の要求する水準がいつも高すぎて、
 ちゃんと言いつけを守ったとしても褒められたことが無い」
 

そんな幼少時代を過ごしていることがタイプ1には多いんです。
 

この場合もタイプ1にとって 父親像は頼れる存在ではありません。
 

結局何をやっても褒めることせず、
逆に非難ばかりする父親像というのは、
子供にとって恐怖の対象でしかないからです。
 

では幼少のタイプ1はどうやって対処したのか?
 

厳格すぎる父親の水準を超えるほどの、
「より厳格で、より正しい言動」を心がけるようになった
のです。
 

これが
「なぜケチをつけられたくないのか?」
という問いの答えになります。
 

「ケチがつく」というのは、
ようするに「間違いを指摘される」ということです。
 

ならば、無茶苦茶厳しい基準を自分に課し、
100%完璧な状態を保てれば、 厳しい父親からの指摘は無いはずです。
 

「ご覧のとおり万全を期しました。何か問題ありますか?」ってな感覚。
 

だからこそタイプ1は、
「あなたは間違っている!」などと言われないようにする為に
正しい教えを自分に取り込み、忠実に守ろうとするんですね。
 

1.のケースにしろ、2.~4.のケースにしろ、
 

「タイプ1にとって実の父親は頼ってもいい存在ではなかった」
 

ということをここでは押さえておきましょう。
 

「自立しなくてはならない」
「ケチをつけられないようにせねば」
 

こんな悲痛な想いがあればこそ、
タイプ1は「絶対神の教え」を
その身に宿す必要があったのです。
 

・・・
 

今回はここまで。
 

まとめます。
 

■教えに対するスタンス
・タイプ1が「教え」を必死に守ろうとするのは
 「大いなるモノ」の厳しいまなざしによって、
 畏怖や強迫観念を覚えるから
■タイプ1が取り込む教えとは?
・次の3つの欲求をどれかをみたせば
 取り込む対象に成り得る
 1.正しく在りたい
 2.ケチをつけられたくない
 3.自立したい
・具体的には次のようなルールがある
 1.まじめルール
  「勤勉であるべき・努力すべき・一生懸命であるべき
   手を抜くべからず・几帳面であるべき・丁寧であるべき」
 2.完成ルール
  「何事もやり抜くべき・継続すべき・妥協するべからず
   辛抱強くあるべき」
 3.道徳ルール
  「正直であるべき・率直であるべき・誠実であるべき
   公平公正であるべき・礼儀正しくあるべき」
 4.理性ルール
  「秩序を保つべき・節度をわきまえるべき・禁欲的であるべき
   論理的であるべき・賢明であるべき」
・これらの教え、ルールは厳しいものばかりである
■なぜ厳しい教えだけ取り込むの?
・この質問の答えは、次の3つの質問の答えでもある
 「なぜ正しく在りたいのか?」
 「なぜケチをつけられたくないのか?」
 「なぜ自立したいのか?」
・答えはタイプ1の幼少時代にヒントがある
■タイプ1における父親像とは?
・タイプ1にとって「大いなるモノ」は「実親」ではない
・タイプ1における代表的な家庭像は次の5つ
 1.厳格すぎる父親がいた
 2.一貫性のない父親がいた
 3.父親がそもそもいない
 4.父親が健在でも殆ど家にはいなかった
 5.早くから弟や妹の面倒をみていた
・人が育つには次の二つの存在が必要
 1.規範や秩序を体現し、生きていく厳しさを教える「父親像」
 2.身の回りの世話をし、安心して甘えられ、愛を与える「母親像」
・タイプ1の幼少時代には「頼れる父親像」はおらず、
 次の要請から厳しくて正しい教えを取り込む必要があった
 1.早い段階で「自立」を求められたので間違う余裕が無かった
 2.厳しすぎる父親像からケチがつかないように、
   より厳しく正しい教えを身に付けねばならなかった

 

でした。
 

ここまでくれば、
タイプ1の根源はほとんど理解できたと思います。
 

次回はタイプ1を代表する「とある感情」についてお話です。
 

それではまた。
 
 

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