リバースエニアグラム

T7考察第7回「逃げ足の華麗なエピキュリアン_タイプ7の負の側面_その1」

破壊者の母、篠田工治です。

前回はタイプ7の「頭の回転の速さ」が生み出す特性の数々と「多芸多才さ」についてお伝えしました。

今回は前回予告したとおり、
これまでほとんどお伝えしてこなかった、
タイプ7の負の側面についてのお話です。
 

今回も文量が多いのでサッサと話を進めます。

全ては刺激と興奮への渇望から

第1回目ではタイプ7が「カタカナ」の似合うタイプとして、
面白さや楽しみ、変化や新しさを味わうことを
お伝えしました。
 

これらは一言で言うなら心を弾ませる為の刺激であり、
タイプ7はこの刺激を求めて想像で頭をふくらませたり、
過活動するんでしたね。
 

又、第3回目のドーパミンの箇所で、
タイプ7は刺激に対して依存的になりやすいことにも
軽く触れました。
 

彼らが望むような心の弾む刺激や興奮は、
いわば快感そのものです。
 

これはタイプ7に限ったことではありませんが、
快感は一度味わってしまうと、
次回はより強い刺激を得ないと
なかなか気持良くなりません。
 

なのでタイプ7は放っておくと、
より強い刺激と興奮を
より沢山求めるようになるのです。
 

これは「場」を和ませたり、
モチベーションを維持するという意味においては
有益で必要なことです。
 

でも、それが度を過ぎた場合、
プラス面よりもマイナス面が目立つようになるんです。
 

つまりタイプ7が抱えるデメリットも、
全ては刺激と興奮への渇望から生まれているのです。

タイプ7のパッション(大罪)

少し余談に付き合ってください。
 

ここで私が思い出すのは、
オスカーイチャーゾ氏の源流的なエニアグラムのことです。
 

以前ブログでもお伝えしたあのエニアグラムです。
 

エニアグラム=占い?タイプ判定が難しい理由番外編
 

確かドンリチャードリソ氏の書籍だったと思うのですが、
同氏は、

「オスカーイチャーゾ氏の最大の功績は、
 9通りあるとされる人のエゴを
 シンボル図の各タイプに上手く当てはめたこと」  

としています。
 

で、そのエゴ(ego fixation)は何を根拠にしているかというと、
実はキリスト教でいう「7つの大罪(passion)」なんですね。
 

「え、7つって、あと二つ足りないんじゃない?」
 

おっしゃることはごもっとも。
 

Wikiペディアさんから引用します。
 

七つの大罪は、4世紀のエジプトの修道士エヴァグリオス・ポンティコスの著作に八つの「枢要罪」として現れたのが起源である。
キリスト教の正典の中で七つの大罪について直接に言及されてはいない。
八つの枢要罪は厳しさの順序によると
「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、「虚飾」、「傲慢」である。
6世紀後半には、グレゴリウス1世により、
八つから現在の七つに改正され、順序も現在の順序に仕上げられた。
「虚飾」は「傲慢」に含まれ、「怠惰」と「憂鬱」は一つの大罪となり、「嫉妬」が追加された。

 

つまり何らかの理由があって、本家の大罪から
「虚飾」と「憂鬱」が削除されたということです。
 

「憂鬱(メランコリー)」という大罪は
タイプ4考察でもお伝えしたとおり、
オスカーイチャーゾ氏はタイプ4のエゴ(呼び名)として扱っています。
 

なので「憂鬱」は大罪には含まれず、
「虚飾」を復活させても大罪は8つです。
 

そこでオスカーイチャーゾ氏は
残り一つの大罪を「恐怖」としました。
 

「オスカーイチャーゾ氏が定めた各タイプのパッション(大罪)」

タイプ1 憤怒
タイプ2 傲慢
タイプ3 欺瞞(虚飾)
タイプ4 嫉妬
タイプ5 強欲
タイプ6 恐怖
タイプ7 暴食
タイプ8 過剰(色欲)
タイプ9 怠惰

 

というわけで、
エニアグラムとキリスト教が密接な関係にあったことが
分かる一例ですが、それはさておき。
 

オスカーイチャーゾ氏によれば、このパッションこそが
エゴよりも重い各性格タイプの一番の囚われ、
宗教的な言い回しをすれば
「悔い改めるべき悪癖」だということです。
(こういう言い回しは私は嫌いですが)
 

そろそろタイプ考察に戻ります。
 

上の表を見ると
「タイプ7の大罪=暴食(gluttony)」とあるのですが、
これだとなんか変ですよね。
 

他のタイプの大罪と比べると分かるのですが、
「暴食」だけが具体的な行為を示しているからです。
 

他のタイプの大罪は行為というよりは、
むしろ根源的で精神的な弱点だと言えます。
 

確かに「(暴飲)暴食」という行為は体に悪いのですが、
根源的で精神的な弱点とまでは言えないですよね。
 

実際に身近なタイプ7さんを見ても
全てが大食漢というわけでもありませんし(笑)。
 

というわけで、この「暴食(gluttony)」は
字面どおりの解釈ではなくて、
何らかの比喩として捉えるべきなんです。
 

そこで何かいい例えができないかと、
いろいろ探していたのですが、
いい言葉を見つけました。
 

それはエピキュリアンです。(またカタカナ・・・)

享楽的なエピキュリアン

研究社 新英和中辞典さんからの引用。
 

epicurean
【形容詞】
1快楽趣味の,食い道楽の,美食家的な.
2[E] エピクロス(派)の.
【名詞】【可算名詞】
1美食家.
2[E] エピクロスの学徒.

 

ようやく話がつながりそうです(笑)。
 

一番最初の章で、
「タイプ7が抱えるデメリットも、
 全ては刺激と興奮への渇望から生まれている」
とお伝えしました。
 

まさしくそのとおりで、
タイプ7は快楽主義者であり、
心の弾む強い刺激と興奮を求めて
次から次へと味わいつくす美食家
なんです。
 

(我が家で今流行っているのはこの美食家
 

ちなみにヘレンパーマー氏の書籍では「暴食」を「欲張り」と、
マークカフェル氏は「ツマミ食い」と解釈(意訳)していました。
 

どちらも「刺激と興奮に対して」という枕詞を付けると、
意味としてはぴったりですね。
 

さて、タイプ7が快楽主義なエピキュリアンだとして。
 

エピキュリアンという言葉もやはり一般的では無いワケです。
 

別に快楽趣味、快楽主義者という言葉も悪くはないのですが、
なんかこう、もう少し別の呼び方がないかなぁと探したところ、
イイ言葉が見つかりました。
 

それは「享楽的」です。
 

いつもの三省堂大辞林さんから。
 

きょうらく-てき 【享楽的】

快楽の追求を第一に考えるさま。

「―な生活を送る」

 

そのまんまですね(笑)。
 

というワケで、
なんか物凄く遠回りした気もしますが、
タイプ7の一番大きな負の側面は「享楽的」である、
まずはそう押さえておいて下さい。

享楽的であることが生み出す5つのマイナス面

快楽を求めて生きていくこと。
それ自体は別段悪いことではありません。
 

思考センターに分類されるタイプ7は
とても大きな「恐怖」を抱えて生きています。
 

彼らは恐怖という不快を快楽を得ることで打ち消しており、
それはそれで「上手いやり方」だからです。
 

でも「享楽的」になりすぎると、いろんなマイナス面が表面化します。
 

大まかには次の5つを押さえておけばいいでしょう。
 

「享楽的であることが生み出す5つのマイナス面」
 
・言動が軽率、浅はかになる
・自己中心的に振舞う
・痛み苦しみ辛さから逃れる
・人や物事に対して深く関わることが出来ない
・不摂生になる

 

以下、順に解説していきます。

言動が軽率、浅はかになる

前回もお伝えしましたが、
刺激を得たいが為に素早く反応や判断をすることは、
物事を深くじっくり考えないということです。
 

例えば、失敗に対する寛容さが無い環境だったり、
問題がフクザツに絡みあっている場合。
 

タイプ7の性急で衝動的な言動は
「場」を引っ掻き回したり、
自らを窮地に追い込むことがあります。
 

これはむしろ第5回でお伝えした、
頭の回転の早さや万能感、自己陶酔という特性が
裏目に出た結果とも言えます。
 

世の中には当然のことながら、
熟慮や慎重さが必要な状況があります。
 

そういう環境下では、
タイプ7の持ち味はデメリットになってしまうんですね。

自己中心的に振舞う

さきほどの「場」とは、具体的には
マンツーマンや集団などの人間関係を意味します。
 

タイプ7が「快楽の追求を第一に考える」ことに意識が集中すると、
人間関係、つまり他者への配慮が疎かになります。
 

なぜなら「快楽の追求」と「他者への配慮」は
通常はトレードオフ、
「あちらを立てればこちらが立たず」の関係にあるからです。
 

刺激や興奮に囚われすぎたタイプ7は
他者の痛みや苦しみに鈍感になってしまうんですね。
 

で、ここで注意が必要なのは、
「他者の痛みや苦しみ鈍感」ということであって、
「他者への気遣いが全く無い」とは言えないことです。
 

これはどういうことかというと、
最終回にもう一度解説する予定ですが、
タイプ7には「シェア(共有)」の精神があるからです。
 

例えば、タイプ7さんと行動を共にしている場合、
結構な確立で「お裾分け」をいただくことがあります。
 

それはお茶菓子だったり、
自分が会得した技術やスキルであったり、
息子の場合は大好物の「食べかけ抹茶アイス」だったりします(笑)。
 

でも、このタイプ7の「シェア」の精神は、
「まずは自分にとって心地良いコトを目指そう!」
という自分中心な考え方の上に乗っかっています。
 

これは自分の欲求を満たすことが先決で、
周囲への提供は二の次だということ。
 

つまり「自分≧他者」という関係であり、
「自分も周囲も楽しくなればそれでいいよね」という
少々身勝手な考え方だったりします。
 

で、これの何が問題かというと、

・タイプ7にとっての心地良さが常に他者の心地良さになるとは限らない
・「楽しければそれでいい」という考えが通用しない環境がある

 

の2点です。
 

なので場合によっては、せっかくの「お裾分け」が
周囲の不快の原因になりかねないのです。
 

逆にそういった所まで配慮できるタイプ7さんもいるのですが、
刺激や興奮を得ることを一番に考えるタイプ7にとって、
そこまで周囲のコトを配慮するのは難しいと言えます。

痛み苦しみ辛さから逃れる

「楽しければそれでいい」とは
「楽しくないことは嫌だ」という意味でもあります。
 

なので多くのタイプ7は、
自分を不快にさせるモノゴトを敏感に察知し、
そこから遠ざかろうとします。
 

もっとハッキリ言えば「逃げて」しまいます。
 

痛み。苦しみ。辛さ。
 

これらの不快な感情は、
タイプ7が必死で掻き集めてきた心の弾む刺激や興奮を
一瞬で台無しにしてしまいます。
 

そうなれば、タイプ7は内面に潜んだ恐ろしい
「大いなるモノ」に捕らえられることになるのです。
 

そしてこの状態は
タイプ7にとって最も避けるべきことです。
 

踏みとどまって対処しようにも、
多くの場合、それは困難を伴う作業になります。
 

そして「困難」という状況も又、
心の弾む刺激には成り得ないんですね。
 

ならば困難に直面したタイプ7のとりがちな行動は
逃げるが勝ち」になります。
 

幸いタイプ7は頭の回転が速く、
要領の良さや器用さもあります。
 

なのでタイプ7は不快な状況を察知すると、
機転を利かせて華麗にすり抜けていきます。
 

まるで背中に羽が付いているんじゃないかと
思うくらいに・・・。
 

実は先ほどの「シェア」は
「自分が槍玉にならないための逃げ道だ」
と言うタイプ7さんもいます。
 

「自分が心地良いことをこれからするから、
 (不快な気分にさせる)文句は言わないでね(巻き込んじゃえ)」
という免罪符なのかもしれません。

人や物事に対して深く関わることが出来ない

動物の世界では危険に遭遇した際、
基本的には「逃走」を選択することが多いようです。
 

なので「逃げる」という選択肢は
一見問題はないように思えるのですが、
人間様の場合は残念ながら事情は異なります。
 

なぜ逃げ足の速さが問題に成り得るのか?
 

それは、
「人や物事に対して深く関わることが出来ない」
ことにあります。
 

【逃げると物事に対して深く関われない】
 

まず「物事に対して深く関われない」というのは、
次から次へと刺激と興奮のみを追い求めていては
何事も浅く表面的にしか体験することができないことを
意味します。
 

そしてそれはタイプ7にとって、
物事を真に身に付けることを妨げてしまうのです
 

これは苦労することなく、
要領よくコツを掴んでしまう頭の良さが
完全に裏目に出た結果とも言えます。
 

何事も真に学ぶ為には泥臭い努力や苦痛や困難が伴います。
 

その道のりは楽しくて刺激的なことばかりではないし、
地に足つけて踏ん張る必要もあるでしょう。
 

前回お伝えした、真にルネッサンス人と呼ばれる人達は
目に見えないところで案外泥臭い努力をしているものです。
 

でも多くのタイプ7は刺激を得たいのであって、
一つのことを極めたり深堀りすることは二の次と考えがち。
 

一つのことにこだわると、内面の恐怖に囚われてしまうからです
 

なのでタイプ7は不快なことに出くわしたらそれを避け、
意識を外へ、外へと向けて
他の選択肢や可能性を探してしまうんです。
 

例えばエニアグラム学習もそう。
 

自分自身を客観的に見つめたり、
ありのままの自分の姿を受け入れるには
時として辛さや困難を伴うことがあります。
(そうじゃない場合もあります)
 

そしてこの苦しみは、言わば生みの苦しみなので、
「本当に自分を知りたい」とか「自分を変えたい」と願うなら、
なんとか乗り越えるべき壁なんですね。
 

でもその壁を乗り越えることができないタイプ7さんは
新たな刺激と興奮を求めて、
他の心理ツールや何とかセラピー、スピリチュアル系などを
次から次へとツマミ食いすることになる・・・。
 

沢山のことを広く浅く学ぶことで、
むしろ速く真理に辿り着いたり、
いわゆる「できた人」になることは可能です。
 

私自身そういうやり方は「アリ」だと思います。
 

ただ、ツマミ食いばかりしているタイプ7さんを見ていると、
「なんかえらく遠回りなことをしているなぁ」
というのが正直な感想です。
 

その結果、いつまでたっても「自分を知りたい・変えたい」という
目的を叶えられない人もいます。
(エラソーで申し訳ないのですが)
 

「一芸に秀でる者は多芸に通ず」という言葉があります。
 

私にとっても耳が痛い言葉なのですが、
一つのコトを極めれば、
自ずと他のコトにも応用できることって多いんですよね。
 

コツを掴むのが上手いという頭の良さと
辛さや困難という不快を巧みに回避できる能力がアダとなり、
逆に真に学べないというジレンマを抱える。
 

これがタイプ7の大きな弱点の一つです。
 

【逃げると人に対して深く関わることができない】
 

次に「人に対して深く関わることができない」ですが、
これは困難や不快さから逃げ続けると
次の3つのデメリットがあるということです。
 

1.表面的な人間関係しか作れない
2.他者からの信頼が得られない
3.大事な人からの信頼を失う

 

1.については要するに人間関係において摩擦という不快が生じたら、
スグにその人との付き合いを止めてしまうってことです。
 

これは別の言い方をすれば
自分にとって都合のいい人ばかりと付き合うということ。
 

別にそれでも普通に生きていくことは可能なんですが、
先ほどと同じように人生の学びは得られにくくなります。
 

私自身も出来ていないので強くは言えないのですが、
学びの多くは自分にとって都合の悪いことを言う人から
得られるものだからです。
 

2.の「他者からの信頼が得られない」については、
先ほどの「自己中心的」や「軽率、浅はか」と相まった場合、
「大事なことを任せてもらえない」というデメリットを生みます。
 

もちろんこれも無ければ無いで普通に生きていけますし、
むしろタイプ7にとっては喜ばしいことかもしれません。
 

でもある程度の年齢になった時、
そういうことを任せてもらえないのは、
成長のキッカケや可能性の扉が閉じることを意味します。
 

そうでなくても他者からの信頼が無いと、
軽んじられたり疎まれたりと、いい事はあまりありません。
 

3.の「大事な人からの信頼を失う」については、
これは家族や恋人、恩師や弟子などをイメージすればいいと思います。
 

いくらタイプ7の逃げ足が華麗だとしても、
人間逃げちゃいけない時や立場があるワケでして。
 

例えば・・・。
私の心を成仏させる為に身内の事例を書いちゃいますね。
 

昔母から聞いた話ですが、
まだ私が幼い頃、そこそこ強い地震が起こったそうです。
 

その時、タイプ7の父は、母と幼い兄と私に目もくれず、
一人でピューッと家の外に逃げ出してしまったそうです。
 

伝聞なのでどこまで本当なのかは微妙ですが、
それ以外のことでも「逃げる父」を何回か見たので、
多分本当のことなのでしょう。
 

おかげさまで、こうやってエニアグラムを学ぶことで、
今となっては「そりゃしょうがないよねぇ」と思えたり、
同情や共感すら覚えるようにはなりました。
 

でも一般的には、取り残された人達は、
逃げ出したタイプ7に対しては信頼できなくなりますし、
釈然としない想いも抱えることになります。
 

逃げた後に何らかの作業が残るのであれば、
結局は取り残された者が後始末をするハメになりますしね(苦笑)。
 

で、そうなった場合、特に家族という関係においては、
タイプ7は以後ずっと後ろ指を指されることに
なりかねないのです。
 

つまり逃げることによって信頼を失うとは、
タイプ7が心の弾む環境を自ら壊す行為だ、
とも言えるのです。
 

以上が

1.表面的な人間関係しか作れない
2.他者からの信頼が得られない
3.大事な人からの信頼を失う

 

の説明でした。
 

でも実は上記1~3のデメリットの最大の問題点を
まだお伝えしていません。
 

それは何かというと、
「窮地に陥ったり槍玉に上がった時に
 他者から助けてもらえない場合がある」
ということです。
 

もちろんそのあたり、タイプ7はよく見ているので、
大体は逃げおおせるのですが、
逃げ道が無くなった場合。
 

手痛い「しっぺ返し」を受けたり、結構悲惨な目にあったりします。
 

実例は・・・いくつかあるのですが、
流石に私も辛いんでヤメときます(汗)。
 

こういう場合、
「自己中心的・浅はか・要領の良さ」が
人を激昂させることがある、
とだけお伝えしておきます。
 

あ、そうそう。
 

人に対して深く関わりにくいとは言いつつも、
通常タイプ7さんの周りには沢山の人がいたりします。
 

最終回でお伝えする予定の
「魅力的」や「影響力」という特性によって、
タイプ7は周囲の人を惹きつけることが可能だからです。
 

ただその場合でも、
タイプ7自身が深い関係をそんなに望んでいないこともあり、
密な人間関係から得られる豊かさを受け取りにくいことに
変わりありません。
 

以上、長くなりましたが、
「人や物事に対して深く関わることが出来ない」ことの
解説を終わります。

不摂生になる

今回最後の論点です。
 

これはそんなに説明は要らないですよね?
 

心の弾む刺激はタイプ7にとっては快感そのものであり、
一度快感を味わえばさらに強い快感を求めて、
より強い刺激を得ようとします。
 

これをドンドン繰り返していけば、
アルコールや薬物、タバコのように刺激に対する中毒になり、
言わば刺激依存症になっていきます。
 

こうなれば、タイプ7は常に強い刺激を求めることが
人生の目的になってしまい、
なんというか地に足ついた生活を送ることが
難しくなります。
 

人は刺激のみにて生きるにあらず。
 

このあたりも薬物やアルコール中毒と同じことですね。
 

実際に刺激獲得に躍起になっているタイプ7さんを見ると、
何をそんなに生き急いでいるの?というくらいに、
過活動をしていたりします。
 

もちろんスケジュール帳を覗けば
ビッシリ予定が埋まっている(苦笑)。
 

特に若いタイプ7さんだと、
体力もあるからかなり無茶というか、
不摂生な生活をしている人もいるようです。
 

ここ2年ほど殆ど体を使わず、
ブクブク太ってきた私が言うのもアレですが、
お体はご自愛くださいませ。
 

「不摂生になる」については以上です。
 

「享楽的であることが生み出す5つのマイナス面」
 
・言動が軽率、浅はかになる
・自己中心的に振舞う
・痛み苦しみ辛さから逃れる
・人や物事に対して深く関わることが出来ない
・不摂生になる
 

というわけで随分長くなりましたが、
「享楽的であることが生み出す5つのマイナス面」
についての解説を終わります。
 


 

さて、今回はさんざん嫌なことを書いてきました。
 

でもこれらは「享楽的」という タイプ7の一番代表的な負の特性から
導き出した弱点に過ぎません。
 

実はまだ二つ、大きな負の特性が残っているのですが、
流石に長すぎるので、ここで一旦切ります。
 

ホントは次回を最終回にしたかったんですが、
タイプ7の負の側面に関するお話を
もう一回だけさせてください。
 

それではまた。
 
 

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